三笘薫、山根視来、家長昭博、小林悠らとのエピソード。そして鬼木達監督が語る川崎で最も記憶に残るシーンやゴール【特別インタビュー】
「アキや悠は...」
12月8日の福岡戦を最後に川崎の指揮官を退任した鬼木監督。その功績は色褪せないが、監督としての8年、そして川崎に関わり続けた26年で、気になったことを最後に訊いてみた。スペシャルインタビューの最終回だ(全4回/4回)。 【PHOTO】両軍、クラブを発つ監督に勝利を!負けられない最終戦は家長・小林のゴール含む3得点で川崎が有終の美を飾る!|J1第38節 川崎3ー1福岡 ――◆――◆―― ――サッカー漬けの8年だったと思います。改めて監督はどんな生活を送ってきたのでしょうか? 「大体、19時から20時頃まではクラブハウスにいましたね。そこから帰って、夕飯を食べる時はできるだけ、サッカーのことを忘れようとは思っています。試合が立て込んでいる時は、食べながら映像もチェックしますが、普段はドラマやバラエティなども見ていますよ。 これは失礼かもしれないですが、テレビが付いているのが良いんです。だからドラマも4話など途中から見ても問題ない。家で仕事をする時も明らかに集中できなさそうな時はドラマを見たりもしています。去年であればスタッフのなかで『VIVANT』が流行っていました(笑)。 寝るのは日によりますが、集中できそうな時は1時くらいまでやって、朝は何もやらないか、0時くらいに寝て5時とか4時半に起きて改めて作業をする。夜に作業をしていて上まで行って寝たいんだけど、上まで行っちゃうと完全に熟睡しちゃうから、リビングで一瞬横になってそのままとか...最近起きれなくなってもいて(笑)。 朝は練習が9時半に始まる場合は2時間前くらいにクラブハウスに行き、1時間前にスタッフミーティングをする形でした」 ――オフの日も? 「オフは乱れます(笑)。だから、やらなくちゃいけないことが溜まっていっちゃうんですよね。実を言うと昔から計画的にやるのが苦手なタイプで...。時間があったら最後にぶわーっと、宿題とかもそうでした(笑)。実際はそんなにやってないのに初日に結構やった気になって、気付けば全然できていないみたいな(笑)。最終的には必ず準備として間に合わせるんですが、段取り、効率は悪いかもしれませんね」 ――トレーニングのメニューもその日に決めるとか。 「こうなったらこうしようというアイデアはありますが、事前にすべて伝えないこともありますし、基本的に当日の朝にこれをやろうと決めます。大体の人は前日に決めて準備していると思うんです。だからコーチ陣は困っているのかもしれないですね。こういうイメージでと、いきなり振ることもあるので。 臨機応変という言葉だと都合が良すぎますが、いくつかのパターンも用意しておきます。パス回しにしてもワンタッチで上手くいかなかったり、見たかった現象が起きなかったらツータッチに変えたり、狭いコートと広いコートを用意しておくなど、上手くいっていないことを突き通すのはあまり好きじゃないんです」 ――自主練習では選手全員が上がるまでピッチに残り、コミュニケーションも取っています。 「仕事をする時間はもう少しコンパクトにしたいんですけどね。多分できるんですよ。他の人からしたら無駄な時間を過ごしているのかもしれない。でも僕からしたら『ああ、こういうことを考えているんだ』と知ることは大事。自分の話はいつでもできる分、人の話を訊く機会は大切にしたいと思っています。 それと僕、練習終わってから、形式ばったミーティングはしないんです。スタッフルームで仕事をしている時に、『今日のメニューはこうだったね』とか『今日は誰が調子が良かったね』とか、みんなで仕事をしているなかで自然と意見交換をできるようにしています。基本的にかしこまってやるのがあんまり好きではなく、雑談ベースのなかにヒントがあったりする。いろんな見方にも接することができますしね。 でも、コーチはカッチリやってくれたほうが楽なのかもしれないですね。特にスタッフが大きく入れ替わった今季はもっと会議みたいなことをして、意志の疎通を図ったほうが良かったのかもしれない。これは選手に対してもそうですが、『分かっているだろう』ではなく、しっかり伝える。結果論になってしまいますが、そういうことに目を向けなくてはいけないと、ひとつの教えだったのかもしれないです」 ――では難しいと思いますが、これまで指導してきた選手で特に印象に残る選手を強いて挙げていただくなら...。 「難しいですが、アキ(家長昭博)のどんな時でもやり続ける姿勢は凄いと感じていました。サブになっても連戦でも、ルーティン的なものがあるのでしょうが、やり続ける。そこは指導者としても学ぶ部分がありました。 あとは(小林)悠。ここは悠のタイミングという時に選ばれなくても、やり続けられる強さがある。監督の立場からしたら不貞腐れられても仕方がないような状況なのですが、悠は決してそういう姿を見せないし、むしろエネルギーに変える。後輩も感じるものがあるはずですよ。常に自分と向き合う、人のせいにしないというのは、感銘を受けますね。 あとは欧州へ行った選手たちは(田中)碧にしても、守田(英正)、(三笘)薫、(旗手)怜央にしても、それこそ後々に(谷口)彰悟、(山根)視来も海外に行きましたが、みんな自主練で何をしたいか自分たちで持っている。こうなりたいからこれに付き合ってくださいとか、主体性があって、周りとは異なっていましたね。 特に薫は、この時にこういうことをやって、この時までにこうなりたいだとか、目標が明確でした。1年目の時も薫はハッキリしていた。ある日はパッとあがって、でも筋トレをやる時はしっかりやる。本当に計画性があって、時間を無駄にしない感じがすごく見受けられましたね」 ――意識の高さが。 「そうですね。視来に聞いたのかな、ワールドカップのクロアチア戦でチームが敗れて、ホテルに帰った。活動も終わりだから、他の選手たちは今日はいいだろうと自由に食事を取っていたらしいんですよ。でも、薫はいつも通り、まず野菜を何を食べて、次はこれでみたいなルーティンを決して崩さなかった。だから視来が僕に『オニさん、やっぱ薫は違いますよ、あいつは凄い』と言っていたのも覚えていますね。 また、僕は選手に電話するって基本ないんです。でも、クロアチア戦後、号泣している薫を見たら、さすがに声をかけなくてはいけない衝動に駆られて。でも移動などもあると思ったので少し間を空けてかけたんですね。その時はすでにイングランドに戻っていたようで、薫は不思議そうに『どうしたんですか?』と何もなかったように電話に出て。『薫が珍しくあんなに泣いているから、心配で連絡したよ』と言ったら、『ありがとうございます』と。そこからは普通のサッカーの話をしましたね。 『ああいう舞台で蹴って、蹴った人にしか分からない経験をしたわけだから、それが必ず返ってくるから頑張れ』とそんな声もかけたと思います。 それと視来だって大したもんですよ。切り替えの早さを意識しようと、アップでダッシュして、ひとりだけバーッと戻ったりだとか、いろんなものを癖づけしていた。代表で高い強度を感じたら、練習でその強度についていけるように工夫したり。フロンターレに入ってきた時は、代表に行ける質があるか、分からない選手でしたが、そこから一気に伸びっていった。視来という選手はここが凄かったんだぞと、指針を示せますよね」 ――若い選手たちもそうした先輩の背中から学ぶことが。 「その意味でも、向上心、野心を持ってほしいですね。ないことはないと思うんですが、それを表現できれば我々はサポートする。上を目指す人がいればいるほどレベルも上がりますから」