三笘薫、山根視来、家長昭博、小林悠らとのエピソード。そして鬼木達監督が語る川崎で最も記憶に残るシーンやゴール【特別インタビュー】
「やっぱり2017年は色濃い」
――印象に残るシーンはどうでしょう? 「やっぱり17年の初優勝ですかね。あとは、同じシーズンの10人の状況で(小林)悠が2ゴールを決めて逆転した仙台戦。それから第1戦で勝利しながら退場者を出した第2戦で逆転されたACLの浦和戦。そう考えると、やっぱり1年目の17年は濃かったんだなと思います。 2020、2021年の無双していたチームにも、客観的に『なんだこの選手たちは』『今度は何をやってくれるんだろう』という期待感を感じていました。自分たちでよく話し合いもしていましたよね」 ――では印象に残るゴールは? 「やっぱり17年の悠の仙台戦のゴールは印象に残っていますね。雨のアウェーでの柏戦のゴールも覚えています。また(20年に)薫が横浜戦でドリブルで切り裂いて、最後は悠が決めたゴール。インパクトがありました。実際、あの場面、時間を稼いでも良いよと思っていましたが、スタジアムが沸くってこういうことなんだろうなと実感しました。最後の最後まで点を取りにいく姿勢ですよね。もちろん1-0とかだったら状況が異なるんでしょうけど、点差があるなら取りにいかせたほうが観ている人たちも面白いはずだと再認識しました」 ――あとは以前に中村憲剛さんが「現役時代のオニさんは正直怖かったですが、監督ではその印象が変わりました」と話していました。監督として怒りのコントロールもしていたのでしょうか? 「そこは一番大切なのは伝えることで、どうすれば伝わりやすいのかを考えていました。怒りを否定しているわけではありませんし、自分も怒っている時はあるんです。でも怒りに任せてバッーと話しても伝わりにくいはず。そう考えていますね。だから静かなトーンで怒っている時もあるんですよ。 そのへんの考え方でひとつ参考になったのが、監督1年目の1試合目、アウェーの大宮戦。あの時、前半が終わってハーフタイムを迎えた時に、伝えなくちゃいけない大事なことがたくさんあるはずなのに、試合に入りすぎちゃって、ヤバい、何を伝えるか整理できていない、という状況になったんです。だからこそ監督はいろんなものを俯瞰して見て、冷静でいないといけないと学んだ部分でもありました。 あとは矢印を人に向けすぎるから怒りの感情も生まれてしまうとも思うんです。例えばやってほしいプレーができなかった時に『どうしてできないんだ』となるのか、『いや、自分の要求がどこまで伝わっていたのか』と冷静に考えるのかで、そのあとの伝わり方は変わってきます。指導者はやっぱり選手に気付かせることが大事。一方で選手をかばいすぎるのもどうかというのもあるんですけどね。 ただやれることをやらない姿には、僕は厳しく言います。それは切り替えとかですね。難しいプレーでトラップをこうすべきという指示ではなくて、やれるのにやらない選手がいると、叱責をするという形ですね」 ――では最後に、最近、みなさんも気になっているという赤い時計をしている意味も教えてください。 「特別な意味はないんですよ(笑)。記憶も定かではないんですが、指導者になりたての時に自分で買ったんですよ確か。小さい時から赤が好きで、赤ってヒーローものだとリーダーじゃないですか。その影響で小さい時からジャージも赤を着ていたりしていて。一回ベルトが切れて、新しいモノに買い替えようかとも思ったのですが、ベルトを直しました。 物への愛着は強いほうで、それこそ手帳や靴もずっと一緒。コーチになった2010年に買った革靴は今でも履いているんです。履く機会は遠征時や必勝祈願、スポンサーの方々とのパーティーなど限られますが、靴を磨くのも好きで。掃除など何も考えない時間って好きなんですよね」 誰からも愛された“オニ”さん。今後は川崎には残らず「休むことも考える時はありましたが、今はエネルギーのあるうちは次をやるべきかなと思っています」と話す。その新たな挑戦も大いに楽しみだ。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部) ■プロフィール おにき・とおる/74年4月20日生まれ、千葉県出身。現役時代は鹿島や川崎でボランチとして活躍。17年に川崎の監督に就任すると悲願のリーグ制覇を達成。その後も数々のタイトルをもたらした。“オニさん”の愛称で親しまれ、今季限りで退任。