「他とは違う恐さがあった」“クイズの帝王”伊沢拓司が高校時代に最も恐れた相手は…?「全国模試No.1」北海道の公立校にいた“旭川の神童”の正体
今年9月、7年半続いたTBS系の人気番組『東大王』が幕を閉じた。同番組の人気の礎となったのが、「クイズ王」伊沢拓司の存在だろう。クイズメディア「QuizKnock」を設立し、日本にクイズの新たな歴史を紡いだ伊沢の原点は、2010年の『高校生クイズ』優勝まで遡る。 【写真で比較】「あ、あか抜け過ぎじゃない…?」爽やか“クイズ王”伊沢拓司の超予想外な高校時代…「伊沢が恐れた男」“旭川の神童”塩越希と重綱孝祐「極北のナゾの公立校チーム」の高校時代と現在も写真で見る もし同大会で伊沢が敗れていたら――おそらく現在の日本のクイズシーンは全く違ったものになっていただろう。では、同大会で伊沢擁する開成高校が「最も恐れた相手」とはどこだったのか。後のクイズ王を追い詰めた、「極北の公立校」の正体とは? 《NumberWebノンフィクション全3回の2回目/つづきを読む》 2009年8月。旭川東高校2年生の重綱孝祐は、東京・麹町の日テレスタジオで自身初となる「高校生クイズ」の全国大会に挑んでいた。 1年前は、競技クイズがどんなものかも知らなかった重綱だが、その後の縁と懸命な努力の甲斐あって、2年生にして初めて全国大会の切符を手にしていたのだ。 「そもそも当時、北海道できちんと活動しているクイズ研究会ってまだほとんどなかった。だから、少し経験を積むだけで全国大会も出やすかったんです」 当時、「高校生クイズ」の全国大会での問題形式は、概ね下記のように決まっていた。 ・1回戦→30問~50問のボードクイズ 正答数上位8校が勝ち抜け ・準々決勝→7問先取の1対1対戦型早押しクイズ 勝利した4校が勝ち抜け ・準決勝→3問の勉強問題 上位2校が勝ち抜け(並んだ場合はサドンデス) ・決勝→10問先取の筆答ボード問題 そしてこの年、重綱のチームは52チームを8チームまで絞り込む「最難関」の1回戦を通過する。 「最後、2チームでプレーオフになって、漢字の問題が出たんですよね。同じチームを組んでいた先輩がめちゃくちゃ漢字に強い人で、それがハマって通れてしまった感じでした。運も大きかったと思います」
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