ブドウ「甲州」は、当初ワインに向かない品種だった。醸造家の熱い思いが生んだ、大きな技術革新とは。辛口甲州ワインが人気になるまで
◆甲州ワインをおいしくしたシュール・リー製法 フランス・ロワール地方の大西洋側には、「ムロン」というマスクメロンに通じる香りがする珍しい品種がある。日本では「ミュスカデ」と呼ばれることも多い。 有名な「シャルドネ」や「ソーヴィニヨン・ブラン」とは異なり、「ムロン」はシュール・リーと呼ばれる独特な製法で、酸味の利いた辛口ワインに仕上げられるのだ。シュール・リーとは、フランス語で、「滓(おり)の上」という意味である。 滓とは、発酵が終わった後でタンクの底に沈んでいる沈殿物をいう。ほとんどが酵母の死骸である滓は、発酵が終わった後にできるだけ早く取り除くのが鉄則。遅れると、滓からワインをまずくする雑味が出てきてしまうからだ。 だが、あえてこの滓を残しながら熟成させるのがシュール・リー製法で、これによって「甲州」を使いながらも優れた辛口ワインを造ることが可能となった。 メルシャンはこのシュール・リー製法により、1983年(昭和58年)に辛口の甲州ワインをはじめて商品化したのである。 メルシャンがこの製法を企業秘密として社内に閉ざすのではなく、外部に広く開示したことにより、こうした甲州ワインを生産するワイナリーが次々と生まれていった。
◆「甲州」が秘めていた香り シュール・リー製法を取り入れれば簡単においしい辛口甲州ワインが造れるように感じられるかもしれないが、実際にはそうではない。ワインと滓を一緒に寝かしておけば品質が向上するといった単純な話ではないのだ。 品質のよい滓を得るためには、適切な果汁処理、酵母の選択や発酵コントロールが必要である。 さらに、滓との接触期間中にワインに異臭を与える硫化水素の発生を防がなければならない。くわえて酸素を供給する攪拌(かくはん)作業にもコツがある。 メルシャンによる辛口甲州ワインの改良は続き、2004年(平成16年)にはこれまでにない柑橘系の香りを出すことに成功する。 そして分析を依頼されたボルドー第2大学醸造学部の富永敬俊(とみながたかとし)博士が、「ソーヴィニヨン・ブラン」に特徴的なグレープフルーツの香りの成分を「甲州」から発見したのだ。 この香りを生かした「甲州きいろ香(か)」は2004年に誕生し、翌年発売された。 和食に合うハッサクやザボンの香りがする、日本オリジナルの辛口甲州ワインはこうしておいしくなったのである。 ※本稿は、『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
竹下大学