『べらぼう』蔦屋重三郎の出版人人生の幕開けとなった『吉原細見』。販売も編集も蔦重が務めたその本に記されていたのは…
◆吉原にとっても重要だった『吉原細見』 吉原のほうも、自分たちの宣伝をして欲しいと思っていました。幕府が公認している歓楽街だといっても、そこに胡坐をかいて、ただ座っているだけではお客さんは集まってきません。 こんな素敵な遊女がいるよ。こんな面白い遊びがあるよ。この日にはお祭りをやります。値段はこのくらいです。そういった情報は、ある程度出していく必要があったのです。この情報がよくなければ、お客さんは吉原に興味を持ってくれません。 『吉原細見』は、お客さん側にとっては、唯一のガイドブックであり、吉原側にとっては、大事な宣伝媒体だったというわけです。 吉原は日本で一番といえる観光地です。書店を始めてすぐの重三郎がそのガイドブックの編集者に抜擢されるなんて、すごいですよね。ずば抜けた才能を持っていたことが、このことからだけでもうかがえます。 『吉原細見』に書かれていたのは、遊郭のマーク、屋号、店主の名前、遊女のランク、遊女の名前などです。実物が国立国会図書館に保存されていますが、それを見ると、重三郎がいかに、丁寧に情報を詰め込んでいたのかがよく分かります。とにかく、細かい。きっと、できるだけたくさんのことを伝えてあげようと思ったのでしょうね。 1783年刊行のものから、巻末に色々な広告が載るようになりました。これは、蔦屋重三郎が始めたことです。
◆もうひとつの業務 重三郎は本をつくって出版するという業務のほかに、すでにできあがっている本を貸すという仕事、貸本業もやることにしました。 江戸時代、情報の主軸だった本は、非常に高価なものでした。普通の人たちは、なかなか手に入れることができません。貸本屋から本を借りて読む。読んだら返す。そのスタイルが一般的でした。 レンタル料は新刊が24文。旧刊が6文くらい。新しい本を購入するとなると、24文の数十倍のお金を払わなくてはなりません。この頃の物価としては、おそば一杯が16文です。本、ちょっと高過ぎますよね。普通の人たちにとっては、レンタルが妥当だったといえます。 情報誌だけではなく、読み物としての本も人気が出てきた時代です。読書を楽しみたいという人も、いまよりたくさんいました。重三郎は、そんな普通の人たちの需要に目をつけたというわけです。
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