ワールドカップ得点王スキラッチが愛される理由 「差別」を笑顔ではねのけたその人生を悼む
【イタリアW杯で変わった空気】 南イタリア出身で大成した選手は、北に比べて極端に少ない。シチリア島だけでもクロアチアに匹敵する人口があるというのに、成功した選手は片手で数えられるほどだ。現在のセリエAでも、南のチームはナポリとレッチェのみ。シチリアのチームは皆無だ。その壁の高さがわかるだろう。 ところが90年のW杯では、そのシチリアの人間が全イタリアの顔となった。イタリア代表には最後に招集され、ほぼ出番はないと思われていたスキラッチが、不調の主力選手たちに代わって出場し、ついには得点王になり、国中を沸かせ、イタリア全土の英雄となる。日本人の私たちが想像する以上に、これはイタリアでは特別な出来事だったのである。 スキラッチ自身はかつてこう言っていた。 「俺はテッローネだからという理由だけで、イタリアの半分のスタジアムで罵りとブーイングを受けてきた。しかしW杯が始まってから、周りの空気が変わった。アンケートでは2200万人のイタリア人が、俺を『一番好きな代表選手』に選んでくれた。ミラノの、フィレンツェの、トリノの広場で、人々がイタリア国旗を振りながら、俺の名前を喜びながら叫ぶのを聞いた。3週間で『シチリアーノ』という言葉は、ネガティブではなく、ポジティブな意味になった」 スキラッチは北と南の垣根を外して、イタリアをひとつにしたのだった。 現ナポリ監督で、かつてのユベントス時代のチームメイト、アントニオ・コンテは、スキラッチという存在をこう語っている。 「トト・スキラッチは単なるサッカー選手ではなかった。我々南部の象徴であり、南の人間であっても成功することができるという夢を与えてくれた」 そう考えると、パレルモの人々の彼への愛着がよく理解できる。 一度、北に出た南の選手の多くは、そのまま北に住み続けることが多いが、スキラッチは違った。日本から帰ると、すぐに故郷のパレルモに舞い戻り、その後は決してその地を離れなかった。(つづく) サルヴァトーレ・スキラッチ1964年、パレルモ生まれ。メッシーナ、ユベントス、インテルで活躍。イタリア代表では1990年イタリアW杯で6得点を挙げ得点王に輝く。1994年、ジュビロ磐田入団。1997年、まで在籍し56得点を挙げている。1997年、現役を引退。2024年9月18日、死去。
利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko