「アワー レガシー」創業者にインタビュー、65億円のビジネスの先に見据える未来
情報過多の時代において、わかりやすく、キャッチーで一瞬で注目を集めるようなコンテンツは毎日過剰にも目の前に現れる。それらは私たちがベッドに寝っ転がっていても簡単かつ即座に提示され、一つの画像・動画だけだったとしてもなぜか何百人から何億人の人々までの感情が大きく揺さぶる影響力を持っている。近年そうした社会全体の変化を下地にファッションのマーケティングにも変化が自然と現れている。アンバサダー就任、コラボレーション、アイキャッチーなSNS画像、そしてショーの会場にどのポップスターを招待したのかなどだ。 【写真】革靴にナイキの白ソックスをあわせる「アワー レガシー」創業者 「アワー レガシー(OUR LEGACY)」は、そうした世界のパラレルワールドに私たちを誘ってくれる。カルト的な人気を集めるスウェーデン拠点のインディペンデントブランドとよく言われるものの、実際の規模は4000万ユーロ(約65億円※)のビジネスを築き上げ、近年では売り上げを5倍に伸ばすグローバルブランドまでへと成長。直近では、LVMHが少数株式を取得したことでも話題を集めた。 10月に開かれたDOVER STREET MARKET GINZAのオープンハウスに訪れた、共同経営者3人のうち2人、クリストファー・ニイン(Christopher Nying)とヨックム・ハリン(Jockum Hallin)。10代の頃にアイスホッケーを通じて出会ってからというものの、独学で着実にアワーレガシーにしかない世界観を広げていった。来年ブランド創設20周年を迎える2人は、この目まぐるしい時代に稀有な存在に思えてしまうほど、冷静かつ堅実なまなざしを過去にも今にも、そして未来にも向ける。 ※1ユーロ=162円で計算
ライフスタイルそのものを表現しているのがアワー レガシー
⎯⎯来日のきっかけともなったドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)のオープンハウスでは、2階にブランドスペースを新たに移し、今回のために特別に制作したチェア「COTTON CROCHET」も展示販売されましたね。 クリストファー・ニイン(以下 ニイン):「アワー レガシー ワークショップ(OUR LEGACY WORK SHOP)」からリリースしたヴィンテージのアルテックチェアになります。椅子に施されたクロシェ編は、スウェーデン拠点のデザインスタジオ「メイン・ニュエ(MAIN NUE)」とのコラボレーションで、デザインのインスピレーションとなったのは東京のタクシー。車内の座席にかかっているレースカバーを見たことはありますか? ⎯⎯普段あまり気にしたことなかったですが、たしかにタクシーによっては白いレースカバーついてますね。 ヨックム・ハリン(以下 ハリン):そんな東京のタクシーカルチャーからインスピレーションを受け、メイン・ニュエとともにひとつずつハンドメイドのユニークピースを作りました。またメイン・ニュエが普段からリペアしたアイテムを販売していることから、同じコンセプトでブレザー、パンツ、デニムなどにレースを施したアップサイクルのアイテムも展開しました。 ニイン:座席だけではなく、タクシードライバーの方がしている白手袋も印象的でした。ドーバー ストリート マーケット ギンザではインスタレーションとして展示販売しましたが、アルテックチェアにかけてあるレースカバーはつけ外しが可能なので、レースを外しても椅子としても使えるようになっています。 ハリン:ドーバー ストリート マーケット ギンザは、僕たちにとってホームのような場所で、いつも訪れるのが楽しみなんですよ。 ⎯⎯そうした日常から地続きにつながるクリエイションは、お二人のバックグラウンドにも通ずるもののように感じます。ファッションデザイナーと想像すると、一般的には10代に何かしらの接点で興味を持ち、ファッションスクールにいくバックグラウンドがあるなか、お二人の出会いはまず10代の頃にプレーしていたアイスホッケーだそうですね。 ハリン:そうですね。10代前半の頃にアイスホッケーに二人とも夢中で、当時はファッションについて話すことはなかったです。でも思春期って、誰しも自身の興味の先や表現したいことなどを自然と探求し始める年頃ですよね。そこで僕の場合は14歳の頃に、人口が数千人あまりのスウェーデンの小さな街にある服屋で働き始めたことが、ファッションとの出会いになりました。働き始めてからというもの、服に宿る魔法のような魅力に引き込まれるようになって。とにかく自分でブランドタグを見てはどんなブランドか調べていくという感じで、勉強していきました。当時グーグル検索も普及していなかったので、調べるといっても今ほど、そう簡単なことではなかったんですけどね。でも、だからこそファッションに無我夢中になれたのだと思います。 ニイン:10代の頃、僕の興味はまずファインアートから始まりました。15歳の時にアート、グラフィック、デザイン、彫刻全般に興味が出てきて、オーストラリアのアートスクールに通ってペインティングと彫刻を作るようになってから次第にグラフィックデザインへの関心が強くなっていきました。卒業後、何のきっかけだったか、ヨックムとたまたま会うことになって。なんとなくまずは一緒にグラフィックデザインをプリントしたTシャツを作ろうよってなったんだよね。それが21歳くらいのこと。その当時、ヨックムはバンドTシャツやジャケットデザインに携わる仕事をしていたよね。 ハリン:そうだね。正確にいうと僕自身も音楽をやっていて、ツアーにも出演している中で、バンドTシャツをよく作っては物販していました。その工程と同じく自分たちでTシャツを作って、コンサートに行く代わりに、スカンディナヴィアに自走してその街で一番だと言われるお店に直接営業しに行ったのが、僕たちの活動の始まりです。当時のことを振り返ると、何も恐れずに少しの期待で営業して回っていたなと思います。二人ともファッションスクールに通っていないので、本当に全てのことに対して独学で、徐々に学習曲線を伸ばしていくようなスタイルでやってきました。