道長との「駆け引き」に苦しめられた三条天皇
10月27日(日)放送の『光る君へ』第41回「揺らぎ」では、即位した三条天皇(木村達成)のもと、新たな政権体制が整えられる様子が描かれた。左大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)が頭を悩ませる場面が次々に訪れるなか、藤式部(とうしきぶ/のちの紫式部/吉高由里子)は中宮・藤原彰子(あきこ/しょうし/見上愛)の苦悩を受け止め、新たな提案を行なうのだった。 ■藤原道長を振り回す三条天皇の政 一条天皇の崩御から四十九日となる日に、三条天皇は内裏に入った。三条天皇は、長年にわたり朝廷を支えてきた左大臣・藤原道長の身内を側近に取り立てる一方、愛妻・藤原娍子(すけこ/せいし/朝倉あき)を女御とするなど慣例を逸脱した判断を下すことも少なくなく、専横的な姿勢が随所に見られるようになった。 その頃、道長は、娘で中宮の藤原彰子に何かと接近を図ろうとする敦康親王(あつやすしんのう/片岡千之助)に警戒を強めていた。敦康親王を内裏から遠ざけようとする道長に対し、従順な側近だった藤原行成(ゆきなり/渡辺大知)が反発。また、彰子も藤式部の提案に従い、藤原頼通(よりみち/渡邊圭祐)以下、弟たちと親睦を深め、父・道長の単なる傀儡(かいらい)とならないよう、いざという時のために兄弟の結束を固めようとしていた。 三条天皇の相次ぐ恣意的な人事に抵抗を覚える道長は、自身と源明子(みなもとのあきこ/瀧内公美)の息子である藤原顕信(あきのぶ/百瀬朔)の蔵人頭就任の打診を辞退する。三条天皇に借りを作りたくない一心だったが、これを知った明子は激怒。将来を悲観した顕信は、出家する道を選んだのだった。 ■内裏焼失や眼病など不遇の続いた在位期間 三条天皇は976(天延4)年1月に、冷泉(れいぜい)天皇の第二皇子として生まれた。母は、正三位権大納言を務めていた藤原兼家(かねいえ)の長女である藤原超子(ちょうし/とおこ)。 三条天皇が生まれた頃、父の冷泉天皇はすでに退位し、上皇となっていた。冷泉天皇は精神を病み、奇行が目立ったといわれ(『大鏡』)、在位期間はわずか2年に留まるなど、三条天皇の後見を務められる状態ではなかった。さらに、母・超子も三条天皇が6歳の頃に急死。皇統を継ぐには、あまりに弱い立場に立たされていた。