支援してくれる大人が「怖かった」 そんな10代だった私が、7年ぶりに地元・石巻に戻ってきて #あれから私は
誰も私を知らない街に行きたかった
高校卒業後は、「表現することが好き」という思いに忠実に、京都の美大へと進んだはるひさん。 ――京都という土地を選んだのはなぜ? 山田はるひさん: 人間関係をゼロにしたかったのかな。マキコレで変に評価されてしまったことがしんどかったんです。「マキコレのハルヒちゃんだよね?」とか話かけられるのが嫌で。だからもう、自分のことを知っている人が誰もいない土地に行こう、と。それで選んだのが京都でした。 大学の友だちはほとんど関西の子だったのですが、やっぱり気質が違うんですよね。みんなすごく明るくて、震災のことも「何か大変やったねえ」くらいのノリで聞いてくるんです。最初は戸惑ったけど、私もだんだん面白くなってきちゃって。私は、だいぶ繊細だし、バンと向かって来られるのが嫌だと思ったこともあるんですけど、でも京都で過ごした四年間は、私の心をすごく強くしたと思います。 ――そのまま卒業後も京都で暮らそうとは思わなかった? 山田はるひさん: 京都にいるとずっと学生気分を引きずってしまいそうで、「もう一回全部を捨てないと」みたいに思っちゃったんですよ。それに、石巻に帰省したときに潮の香りが妙に懐かしくて。そろそろ海のそばで暮らした方がいいんじゃないか、みたいな。それで横浜に。 けれど想像していたよりも、ずっとひとりはつらかった。友だちもできずに家と職場を往復するだけの毎日。「人とのつながりってないと困るんだな」と身にしみて感じました。 そんなときにコロナ禍で会社が一カ月間休みになったんです。この余った時間で何をしようか考えたときに、思いついたのが「絵を描くこと」でした。改めてあの頃の石巻で私が感じたことをベースにした絵を描いてみよう、と。一カ月で30枚くらい描いたのかな。その絵をInstagramに挙げていたら地元の友人が「石巻で個展をしたら?」と声をかけてくれて。「それならいっそ」と思って、仕事も辞めて石巻に帰ることにしたんです。