支援してくれる大人が「怖かった」 そんな10代だった私が、7年ぶりに地元・石巻に戻ってきて #あれから私は
ゼロになった街を創りかえたい。でも「大人が怖かった」
被災後のストレスを抱えながらも、彼女は「負けてたまるか」と受験勉強に打ち込み、志望校への合格を果たす。 ――高校生活はいかがでしたか? 山田はるひさん: クラスには全然馴染めませんでした。中学ではまだどこかで「震災を経験した者同士の仲間意識」みたいなものがあったんです。でも高校にはまったく被災していない子もいるから、震災の話自体がタブーみたいになってしまって。それもあって同級生と何を話したらいいかわからなくなっちゃったんです。教室にいくのも怖くて、保健室で過ごしていました。 そんな私の居場所になってくれたのが、高校生団体での活動です。きっかけは「トモダチプロジェクト」という交流イベントに参加したこと。そこで出会った、地元のためにさまざまな活動に取り組む同世代の姿に刺激を受け、「私も何かやらなくちゃ」と、石巻の高校生団体に参加することにしたんです。 そこでみんなと話しているときに、「この街って、全然おしゃれじゃないよね。遊べるところもないし最悪」みたいなことを言ったんですよ。そしたら「何かやってみたら?」って言うから、「じゃあ私、ファッションやりたい」って答えたんです。「それいいね!」「じゃあファッションショーやろうよ!」と盛り上がって始まったのが、「イシノマキコレクション(マキコレ)」です。ゼロになっちゃった街、壊されちゃった街を創り変えたい。ここから新しい文化を創造したい。そんな思いで取り組んだプロジェクトです。 ――「マキコレ」の成功で、周囲の目も変わったのでは? 山田はるひさん: そうですね。私の活動を支援したいという大人たちが、周囲に突然増えました。でも正直にいうと、そういう大人たちが少し怖くて。ずっと不信感がありました。もしかたら利用されてるだけなんじゃないか。この人たちは、自分の実績をつくりたいだけなんじゃないのかって。私も純粋すぎて、悪意にさらされたくないというか、「自分を守らなきゃ」って身構えていたんだと思います。 でも、今になってみると、大人たちがしてくれたことのありがたみもよくわかるんです。だって高校生の話なんて、何のお金にもならないわけじゃないですか。でもみんな、しっかり話を聞いてくれて。社会人になった今の自分に同じことができるかといわれると、「ちょっと無理かも」って思うくらい、本当にたくさんのチャンスをもらった気がします。