東京オリンピックに考える 「バブルを知らない世代」による「個人的挑戦」の時代へ
国家が消失して「猛烈な個人」が現れた
これまでの日本は、どちらかといえば集団で力を発揮する国であった。 滅私奉公が封建時代以来の美徳であり、太平洋戦争中は国のために個人を犠牲にするのが当たり前、あの「特攻」という特殊な戦術が世界的にも有名になって、日本といえば「カミカゼ」であった。1972年の日本赤軍によるイスラエル、ロッド空港乱射事件のとき、僕はブライトン(英国)という街のドミトリーにいたのだが、英国の新聞には「カミカゼ・テロリズム」と書かれていた。 僕らより少し上の世代は、国のために命を捧げるように教えられ、それを信じていたのである。ところが敗戦によってその「国家」が消失し価値観が180度転換して、教科書の軍国教育的な部分に墨を塗って使ったのだ。今、行政文書を公開するときに墨塗りするのは、官僚の価値観と国民の価値観とが戦前と戦後ほど(180度)食い違っているということだろうか。 突然のように国家が消えて、日本の個人は否応なく社会の荒波に晒された。トヨタを発展の軌道に乗せた石田退三が戦後すぐ社員にいった言葉は「とにかくメシを食わねばならない」であった。そして主として経済の分野で、猛烈に強い個人が出現した。松下幸之助、本田宗一郎、小佐野賢治、中内功、堤義明といった人物たちで、事業家から転身して総理大臣に上り詰めた田中角栄はその象徴であろう。彼らには「財閥系既成企業何するものぞ」という戦後成り上がり的な気概があった。 軍国少年から転じた昭和一桁生まれの文化人は、焼跡闇市派とも呼ばれ、大島渚、篠田正浩、野坂昭如、永六輔、青島幸男、前田武彦、大橋巨泉など、映画からテレビへと変わる時代の日本文化を創出した。彼らにもあの墨塗りからくる、国家権力に対する反骨があった。この時代の「猛烈な個人」は、突然の国家消失による権威の真空に出現したのだ。
企業の集団主義
しかし日本の集団主義は根深い。メシを食うための努力の過程で次第に企業が奉公の対象となっていった。技術者たちは開発に没頭し、商社マンは世界を飛びまわり、日本人はエコノミック・アニマルと呼ばれた。アメリカのマスコミは、日本企業の社員が朝礼で訓示を受け体操をしてから仕事に就く様子を映し出した。高度成長のときの企業集団主義は、太平洋戦争のときの軍国集団主義と同様、再びアメリカの脅威となったのだ。 アメリカの圧力を受けて日本政府は、余暇生活の充実とゆとり教育に方針を転換する。復興から成長そして成熟へというわけだ。復興成長期に手腕を発揮した「猛烈な個人」は、周囲との軋轢から法的あるいは社会的制裁を受ける人物も多かった。 のちにノーベル賞を受賞した中村修二氏が、莫大な利益を生む青色発光ダイオードを発明したにもかかわらず、わずかな報奨金しか支給されなかったことは、個人の才能を正当に評価しない日本社会の象徴であった。以後、多くの優秀な科学者、技術者、芸術家、スポーツマンが海外に流出している。 1980年代、日本人はバブル経済に浮かれた。オイルマネーに代わるジャパンマネーが世界を席巻し、日本人はその集団能力を過信した。そして慢心した。バブルが弾けると、逆に大きな喪失感にみまわれ意気消沈した。個人も企業も守勢にまわり、摩擦を承知で大仕事を成し遂げる人間より、ミスをしない組織人が求められた。学校の成績で評価されるエリートは、混乱の中を実践でのし上がった人々に比べれば保身的である。総じて日本社会は「保身エリート」の時代となった。日本企業がダウンサイジングすると同時に、日本人の精神もひとまわり小さくなった。