小さな世界をつぶさに見ること(レビュー)
若い世代が本を読まない、という嘆きはいつの時代にも見られるが、読むのと同じぐらい書くことも大事だと言いたい。書くことは考えることの土台だからだ。「言いたいことがまずあって、それを書く」と思い込んでいる人が多いが、逆である。「本当に言いたいこと」はアウトプットの試行錯誤において初めて姿を現す。書き始めることから、思考は始まる。 石岡丈昇『エスノグラフィ入門』は美しい本だ。すべての新書はよき入門書であれとわたしは願っているが、これは名作。エスノグラフィは、あるフィールドに分け入って、そこでの日常を記述すること(またはそうして記述されたもの)。たとえば著者は、フィリピンのボクシングジムで日々トレーニングに励みながらそこにいるボクサーたちの暮らしにふれ、それを書いた。貧しくて物を持たない彼らが、整髪料だけは持っていること。そして著者に「おまえもジェルをつけろ」と言い、ツンツンの髪形にしてくれたこと。統計やインタビュー調査ではとらえられないものを、エスノグラフィは掬い上げる。 学生たちにエスノグラフィの方法を説くスタイルで書かれたこの本は、キーワードを太字で示し、章ごとの「まとめ」を付すなど、とにかく読みやすく理解しやすいように配慮されている。小さな世界をつぶさに見ることで、背後にある歴史や文化をとらえていく方法について。読後には、非常におもしろい講義を聴いたという満足感が残る。 [レビュアー]渡邊十絲子(詩人) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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