「内部告発者が受けた仕打ちを見て、私は自分の考えを変えた。違法な報復行為を刑事罰で抑止せざるを得ないと」…異論を排除する世の中に、奥山教授が強く警鐘を鳴らす
私たちみんなが被害者
職場で上げられるべき声が上げられないとき、だれもが押し黙ってしまったとき、私たちみんながその潜在的な被害者です。 保育園での虐待によって、被害を直接に受けるのは、幼い子どもたちであり、子どもを預けている親たちです。そして間接的には、その被害者は、見て見ぬふりをせざるを得ない人たちを含め、子どもたちを大切に守り育てたいと考える私たちみんなです。 走るトラックから外れたタイヤで直接に被害を受けたのは、お母さんであり、その子どもです。そして、道路を歩くすべての人たちがそのタイヤの直撃を受ける可能性があります。原発事故で被害を受けるのは、周辺住民だけではありません。全国民が有形無形の苦痛を強いられます。したがって、被害者は私たちみんなであり得たし、あり得ます。 職場のハラスメントで被害を直接に受けるのは、市役所や県庁の職員であり、自衛隊員であり、働く多くの人たちです。しかし、彼らだけではありません。良い労働環境で気持ちよく働いてもらって、効率的な市役所、県庁であってほしい、精強な自衛隊であってほしい、「女性の敵」を取り締まる規律ある警察組織を培ってほしいと願う私たちみんなが被害者です。公私混同のない公正で清潔な運営が行われているものとして県の行政、県信用保証協会を信頼したい私たちみんなが被害者です。市民、県民、国民のみんなが被害者です。
大変な苦難を強いられている
だから私たちはその声を大切にしたい。だから私たちは、外からは窺いづらい現場からその声を届けてくれる人たちを守りたいのです。 その人たちは、残念ながら、多くの場合、大変な苦難を強いられています。 おかしいことを「おかしい」と指摘するのは、残念ながら、多くの職場で、たいへんな危険を伴う行為です。人生を賭けるのも同然の危険を伴うことさえあります。 兵庫県の斎藤知事の公務における様々な問題行為を告発文書にしたたためて、特定の10の先に送った兵庫県の幹部職員、退職の予定を取り消され、再就職先が決まっていたのにそれをあきらめさせられ、県職員の地位に留め置かれて、懲戒処分を受け、ことし7月に亡くなりました。 この11月にあった兵庫県知事選挙に際して、その彼に浴びせられた罵声は常軌を逸したものでした。真偽の定かではない彼の個人的な内容が記述されたポスターが兵庫県じゅうの公営の選挙ポスター掲示場に張り出されました。それを見て、女性と不倫するような人が告発者だったのかと思わされ、その反射として、彼の告発の対象だった斎藤知事に1票を投じようという有権者が続出しました。 内部告発の内容とは関係がないのに、プライバシーに属する真偽不明のことがらをあれこれ非難され、それを理由にここまで激しい人格攻撃を受けなければならなかったのはなぜでしょうか。権力ある者に対する内部告発をしたからです。 よしんば告発者が不倫したことがあったとしても――それが本当かどうか私は知りませんが――、それが何だというのでしょうか。内部告発の内容が間違っていたことになるとでもいうのでしょうか。そうはなりません。告発者の人格が抹殺されるほどに貶められて当然だということになるのでしょうか。そうはなりません。 権力者の不正を暴く情報の伝え手について、異性との関係のあることないことを暴き立てられるのは、古今東西でよく見られる現象です。告発者を貶め、その信用を傷つけ、告発内容から目をそらさせ、論点をすり替え、さらに、他への見せしめとするのが狙いの卑劣な攻撃です。そろそろ、私たちは、不倫があろうがなかそうが、そのことと内部告発の内容は無関係であり、別問題だと知るべきです。「それがこの情報の中身と何の関係があるの?」「so what?」と言えるようになりたい、そう思います。 警察組織で60歳まで勤め上げ、警察組織に身を捧げ、鹿児島県警の最高幹部へとのぼりつめた根っからの警察官が、退職3日後に、内部告発の手紙をジャーナリストに送りました。彼曰く、「鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝(のがわ・あきてる)本部長が隠蔽しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです」「不祥事を明らかにしてもらうことで、あとに残る後輩にとって、良い組織になってもらいたいという気持ちでした」。本人がのちに述べたところによれば、そうした理由で内部告発に踏み切ったそうです。 ところが、その後、まさに、その内部告発をその警察本部長によって犯罪だと決めつけられました。自宅を家宅捜索され、自殺を図って病院に搬送されるところにまで追い詰められました。いまは、秘密漏洩の嫌疑で刑事被告人とされ、公判が始まるのを待つ身です。 こうした現状を見て、職場のおかしなことについて声を上げよう、公益通報しよう、内部告発しよう、と思う人はおそらくかなり少なくなったのではないかと私は心配です。あんな目にあうのだったら黙っておこう、自分の告発の内容とは全く関係のない自分のプライベートなことをあることないことばらまかれて非難され、中傷されるリスクがあるのだったら何もやらない方がマシだ。そう思う人がいるのは当然だろうと思います。 情報の内容に反論するのではなく、情報の伝え手を攻撃する――。そんなことがまかり通れば、やがて情報の伝送路は目詰まりを起こし、この社会に必要な情報が流れづらくなる。それは私たちみんなの損失です。 それによって被害を受けるのは誰かというと、私たちみんなです。トラックから外れたタイヤにぶつかられて亡くなってしまったお母さんとか、あるいは、原子力発電所の原子炉のひび割れが隠蔽されたことで原子力安全への信頼が失われ、その結果、原発を動かせなくなってしまった電力会社、ひいては電力の消費者、みんながその被害を受けることになるだろう、私はそう心配しています。