トランプ次期大統領が画策するウクライナ戦争の停戦・和平交渉、ウクライナの“中立国化”が現実的ではない理由
■ 冷戦終結まで国連加盟も長年拒否したスイス スイスの永世中立は大国間の勢力争いの副産物で、今から200年以上前と歴史は古い。 フランス革命後、同国皇帝のナポレンI世は18世紀末に欧州大陸支配のための征服戦争(ナポレオン戦争)を仕掛け、余勢を駆ってロシア遠征に挑むが、予想以上の厳寒(冬将軍)に阻まれて潰走。1814年にナポレオンは失脚する。 「ナポレオン後」の欧州の秩序を再構築するため、翌1815年に英・仏・露、墺(オーストリア)、普(プロイセン/プロシア、後のドイツ)の欧州5大国(列強)がウィーン会議を開催する。 5大国の勢力圏の線引きで厄介だったのがスイスの存在で、どの国も影響下に置きたがっていた。欧州大陸の“へそ”にあり、進軍には好都合でアルプス山脈も控え難攻不落の要塞だからである。 ナポレオン戦争でスイスはフランスの勢力下にあったが、支配権を巡りスイスと隣接する仏、墺が角逐の状態にあった。 最終的に露の仲裁などでスイスをバッファー(緩衝国)として完全独立させ、5大国が後見人として独立を保障。どの国とも軍事同盟を結ばないことも盛り込んだウィーン条約に同意する。ただしこの段階ではまだ永世中立という概念自体が希薄で、スイスが将来的に国際社会でどのようなスタンスで臨むかが注目された。 そして、スイスは国際社会の期待に則し、普仏戦争(1870~71年)、第1次大戦(1914~18年)、第2次大戦(1939~45年)、冷戦(1945~89年)でも完全中立を崩さなかった。 第2次大戦時は特に厳格で、連合国を率いる米英とは経済・文化的に密接ながら、領空侵犯の外国軍機は連合軍、枢軸軍(独伊)の区別なく迎撃。25機を撃墜している。 冷戦期もNATO(北大西洋条約機構)やEC(欧州共同体。EU/欧州連合の前身)への加盟はもちろん、国連軍の結成や軍事的制裁の実施を盛り込む国連への加盟も「軍事的中立に反する」として長年拒否し、加盟を果たしたのは冷戦終結後の2002年だった。