ラリー史に残るエポックメイキングな6台を展示|The Golden Age of Rally in Japan
富士モータースポーツミュージアムにて、企画展『The Golden Age of Rally in Japan』が開催中だ。会期は2025年4月8日まで。 【画像】フィアットX1/9、モーリス・ミニ・クーパー、ランチア・ストラトス、フィアット131、アウディ・クワトロ、ルノーR5ターボが一堂に!(写真8点) ーーーーー 富士モータースポーツミュージアムは、2022年9月末に富士スピードウェイ西ゲート脇に開館した富士スピードウェイホテルの1~2階に設けられた施設であり、日本国内はもとより世界各国の自動車メーカーの協力を得て、各ジャンルのモータースポーツ車両を展示している。同館は“モータースポーツがクルマに開発に欠かせない存在”であることをテーマとしており、2階ではラリーカーの展示が充実し、開館以来、日産、三菱、スバル、トヨタなどが居並んでいる。 『The Golden Age of Rally in Japan』は、イタリア・トリノに本拠を置く『ジーノ・マカルーゾ・ペル・オート・ストリカ』の全面協力を得て、1960年代から80年代に世界ラリー選手権(WRC)で活躍した海外マシンの中から、ラリー史に残るエポックメイキングな6台を選んで展示している。 「ジーノ・マカルーゾ・ペル・オート・ストリカ」は、ジーノ・マカルーゾ(1948~2010年)が収集したラリーカー・コレクションを元にして、氏の没後に家族によって設立された財団であり、会長をモニカ婦人が務めている。ジーノ・マカルーゾは1970年、20歳でフィアット・チームに加わり、コ・ドライバーとして72年には124スパイダーでレレ・ピントと組んで欧州ラリー選手権とミトローパカップ(Mitropa Cup)で優勝を果たすと、74年からはフィアット・ラリーチームのマネージャー、フィアット・アバルトX1/9プロトタイプの開発に携わった経歴を持つ。その後、スイスの高級時計業界に身を投じ、1993年から2010年までジラール・ペルゴの経営を担っていた。 ジーノはラリーストとしての視点から選んだラリー史に残る重要なマシンの収集をはじめ、コレクションは27台を数えるが、それらは好成績を残したワークスカーであることが大きな特徴である。コレクションのジャンルは多岐にわたり、ラリーカーだけでなく、アマチュア育成のためのフィアット・カスタマーカー、1979年リジエF1やランチア・ワークスのLC1やLC2などレーシングスポーツカーも含まれている。 現役当時の状態に動態保存するため、80年代にアバルトに在籍していたドメニコ・ファザーノが若いメカニックたちに技術を伝承しながらメンテナンスを実施している。 コレクションを活用した行動では、トリノのイタリア国立自動車博物館(MAUTO)で催した企画展には、国内外から16万人を超える人々が訪れる成功を収めたという。 今回、来日した車両は、6台という輸送に関わる制限のなかでマカルーゾおよび富士モータースポーツミュージアムの学芸スタッフが悩みに悩んで厳選したものであるといい、ジーノ・マカルーゾ財団所蔵車両が欧州大陸以外の地で一般公開されるのは今回が初の試みである。 企画展の開催に合わせてモニカ婦人も来日してスピーチをおこなった。 1974 Fiat Abarth X1/9 Prototipo ブランドごとではなく、グループ全体でラリーに取り組むことを決定したフィアットが、販売促進の観点から市販車をベースにした競技車での参戦を目指して製作したレーシングマシン。ミドエンジンの量販小型スポーツカー、X1/9をベースにしてアバルトが手掛け、1.3ℓに代えて124ラリー由来の1850ccDOHCエンジンを搭載した。開発段階でもイタリア国内選手権での優勝など好成績を残したものの、結果的にフィアットはこの計画を断念した。展示車は1974年にF1ドライバーのクレイ・レガッツォーニとコ・ドライバーのジーノ・マカルーソが使用したヒストリーが残っている。マカルーゾがプロドライバーとしてレースに出場した最後の車両でもあり、ラリーカー収集の切っ掛けになった。 1966 Morris Mini Cooper 1275S 言わずと知れたモンテカルロラリーで抜群の強さを見せた、ミニクーパーSのBMCワークスカー。アレック・イシゴニスが設計した小型経済車、BMCミニは“小型車の革命”と評されるヒット作となった。横置きエンジンによる前輪駆動レイアウトによって得られた高い走行性能に着目したレーシングカー・コンストラクターのジョン・クーパーが磨き上げたミニクーパーは、ラリーでは雪と氷のモンテカルロラリーで強さを発揮し、1964年、1965年、1967年の3勝を果たした。1966年もミニが上位3位を独占する強さを見せたが、ヘッドライトがロービームに切り替えられないとの理由で失格との判断を受けた。展示車は1966年モンテカルロに出場した経歴を持つ。モンテではリタイアに終わるが、67年にはフィンランドの1000湖ラリーではマキネン/ケスキタロ組で優勝を果たし、優勝時の塗色でマカルーゾ・コレクションに保存されている。なお、マキネンは2017~20年までTOYOTA GAZOO Racing WRTの代表を務めている。 1976 Lancia Stratos WRCでの勝利を最優先してフィアット・グループが連帯して開発したラリー専用マシン。ランチアのフィオリオ監督からの要請を受けて、エンツォ・フェラーリがディーノ・2.4リッターV6エンジンを供給。高剛性でたっぷりしたサスペンション・ストロークを持つシャシーのミドシップに横置きに搭載した。ボディはベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニが良好な前方視界を考慮してデザインした。マカルーゾ・コレクションが所蔵する“アリタリア・カラー”のワークスマシンは、1976年ジロ・デ・イタリア(ターボ付きGr.5仕様)、1977年モンテカルロ、サンレモ。1978年:ザックス・ウィンター・ラリー、ADACザックス・ウンターフランケン・ラリー、ツール・ド・コルスで、1979年には独立チームに放出後にモンテカルロに出走したヒストリーを持つ。 1978 Fiat 131 Abarth Gr.4 フィアット・グループは、販売促進の観点から量販乗用車の131ミラフィオーリをラリーマシンのベースに選んだ。この時期のフィアット・グループではフィアットが124アバルト・ラリーで、ランチアがストラトスでWRCに参戦していたが、グループ全体で取り組むことを決定した結果からだった。開発を担当したのはフィアットのコンペティション部門を担っていたアバルトで、DOHC16バルブ1995ccエンジンほかメカニズムの開発を担い、ベルトーネがボディの改造を担当。外観上では前・後オーバーフェンダー、ルーフスポイラーが追加され、軽量化のためにFRP製のボンネットとトランクを備えて、ファミリーカーをラリーマシンに仕立て挙げた。Gr.4規定に基づき400台のストラダーレを生産。後に約600台を追加したといわれる。1978年のアイルランド・ラリーでアレン/イルッカ組(カーナンバー3)が3位入賞を果たしている。 1981 Audi Quattro 現在のラリーマシンでは一般的なフルタイム4WDロードカーを普及させた先駆がアウディ・クワトロである。ポルシェ博士の孫であるフェルディナント・ピエヒ指揮のもとで、フルタイム4WD方式のオンロードカーとして開発された。その機構の最大の利点は、濡れた舗装路面、未舗装路、雪道、氷など、あらゆる種類の路面状況で高い駆動力を発揮し、優れたパフォーマンスと安定性が得られることにあった。クワトロは1981年のWRC初戦から投入され、2戦目のスウェーデンで初優勝すると、サンレモ、RACと勝ち進んで3勝を果たしてラリー界に大きな衝撃を与えた。クワトロで大きな活躍を見せたひとりにミシェル・ムートンの存在があるが、ムートンによる81年サンレモでの勝利は、WRC史上初の女性ドライバーによる優勝となった。翌1982年シーズンに5勝したアウディは、ドライバーズタイトルは僅差で逃したが、3勝したムートンが2位に入って、アウディ初の製造者タイトルを獲得。これ以降、アウディ・クワトロがWRCを席巻していった。1000湖ラリーで2位(ブロンクビスト/セダーベルグ)、サンレモ・ラリーではミッコラ/ハーツ組によって優勝。1983年シーズンはドイツ選手権を戦って2勝を上げている。当初は懐疑的であった参戦各社は、クワトロの活躍を目にするとフルタイム4WDの開発を急ぐようになる。展示車は1982年WRCでアウディ・ワークスチームが使用した実車である。 1981 Renault R5 Turbo ルノーは小型FFハッチバック乗用車のルノー5(R5)をWRC参戦のためのラリーカー製作のベースに選び、コンパクトでパワフルなマシンによる参戦を選択した。外観にはヒット作のR5のイメージを残すものの、メカニズムはまったく異なる高度なもので、市販車由来の1.4リッターエンジンにターボチャージャーを装着してミドエンジンに搭載し、2座席とした。ボディには、太いタイヤを収容するために前後に巨大なオーバーフェンダーを、ルーフ後端には大型のスポイラーを備えた。また、ボディにはアルミやプラスチック素材を広範囲に使用して軽量化を図っている。Gr.Bのホモロゲーション取得に必要な台数を生産した以降も、ルノーのホットモデルとして継続生産された。展示車は1981年モンテカルロ・ラリーで、ラニョッティとアンドリュー組(カーナンバー9)によって優勝した実車である。これはWRCにおけるR5ターボにとって最初の優勝となった。同クルーによってRACラリーでも5位入を果たしている。 文・写真:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.) Words and Photography: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) The Golden Age of Rally in Japan 2024年11月27日~2025年4月8日 於:富士モータースポーツミュージアム(富士モータースポーツフォレスト)/静岡県御殿場市
Octane Japan 編集部