廃墟寸前の市場に行列ができる…ポツンと1軒だけ残る「親子の小さな食堂」が地元で50年間愛され続ける理由
■以前の母を取り戻したい…息子の決断 正文さんが亡くなった翌年の2020年夏のこと。夫との店を守るべく、千秋さんは気丈に振る舞いながら一人で店を切り盛りしていた。ふと、自分の胸を触るとしこりがあることに気が付く。病院で検査を受けると、乳がんと告知された。しかも進行が早く、一刻も早く治療しなければならなかった。 抗がん剤で腫瘍を小さくすることにしたが、副作用が響き、千秋さんは眠れず、食欲も出ない日々が続いた。医師からリンパに転移する可能性があると診断を受け、腫瘍のある乳房を切除。 その後の経過は順調だったものの、目まぐるしい変化にストレスを受けたことで、いつもの明るい千秋さんではなくなっていた。店に貼り紙を出すこともなく休業し、家で塞ぎ込んだ。「誰とも喋らんし、もともと足が悪いのに出歩かない。食事も取らへんから、これはやばいぞって思いました」と武さんは振り返る。 武さんは父と同じ道に憧れて19歳からフレンチを学び、神戸市北野にあるフランス料理店の副料理長になっていた。母の変化は、彼の収入も安定し、着実に地位を築いている最中のことだった。 母が一番元気でいられることって何だろう? 父と過ごした店で働く母は輝いていた――。両親に店を継いでほしいと言われたことは一度もない。継ぐつもりもなかった。ただ、母に元気になってもらいたくて、思うより先に言葉が出た。 「このままじゃあかん。おかん、一緒にやろか」 ちょうど勤めていたレストランが新しい料理長に変わるタイミングだったため、「これは決断しろってことかも」と思い、退職届を出した。 ■「フレンチをしていたプライド」の変化 いくら母のためとはいえ、今まで築いてきたフランス料理人としての道を閉ざすのには勇気がいったはずだ。「方向転換をするからには、自信があったのですか」と聞くと、武さんは首を横に振った。 「まったくありませんでしたよ。見ての通り、今にも崩れそうな場所です。正直、どうやろうなぁって(笑)。フレンチをしていたプライドもあったし、自分がやりたいことをしている実感もありませんでした」 武さんは今でこそ大きな声で、一人ひとりの客に「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました」と言っているが、最初はまったく言えなかったという。気持ちに変化が起きたのは、常連客の行動がきっかけだった。 休業してから半年後の2021年の冬、武さんと千秋さんは広告を出すこともなく、ひっそりと千成亭を再開させた。