日本最古の歴史を誇る芝居小屋「京都 南座」:中村鷹之資が誘う歌舞伎の世界
昔ながらの芝居小屋の雰囲気が残る
松竹が1906(明治39)年、南座を買収。1929(昭和4)年に鉄筋コンクリート5階建て、桃山風の瀟洒(しょうしゃ)な建物を建造する。以後、改装を繰り返しながら保存され、1996年には国の登録有形文化財の指定を受けた。 直近の大規模改修では耐震補強工事を施すため、2016年1月から2018年10月まで長期休館した。完成後は「南座発祥400年記念 南座新開場記念」と銘打ち、吉例顔見世興行を11~12月の2カ月間にわたって開催。二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎の襲名披露も行われたことで、大きな話題を呼んだ。
現在の客席数は1082席で、東京の歌舞伎座(1964席)や新橋演舞場(1428席)に比べると小振り。舞台で特徴的なのは、何といっても上部に飾られた唐破風だろう。 江戸時代初期の芝居小屋は、客席部分に屋根はなく、舞台の上や桟敷席だけに屋根が設けられた。享保年間(1716~1736年)に小屋全体に屋根が架かるようになっても、しばらくは舞台上部の屋根は残り、能楽堂のような「屋上屋(おくじょうおく)を架す」構造だった。その後、芝居小屋では舞台上の屋根はなくなっていくのだが、南座だけはその伝統的なスタイルを保存し続けている。
そんな南座を鷹之資さんは「昔ながらの芝居小屋の香りを残している」と評す。そして、歌舞伎の原点にも触れられる貴重な場所のようだ。 「外観の趣あるシルエット、朱色を基調にしたロビーやレトロな照明が素敵なのはもちろん、コンパクトな舞台・客席もちょうどいい。歌舞伎役者にとっては歌舞伎座が一番のホームグラウンドですが、芝居小屋というには少し大きいというか、やっぱり劇場なんです。それが南座に立つと『昔の演目や型は、このサイズ感、空気感でつくられたんだ』と感じられ、学ぶことが多々あります」
顔見世の雰囲気に圧倒された南座初舞台
鷹之資さんが初めて南座の舞台に立ったのは19歳の時。改修直後、12月の吉例顔見世興行だった。「町全体がお祭りムードで、客席はぎゅうぎゅう詰め。緊張しっぱなしだったのを覚えています」と振り返る。 顔見世は「芝居国の正月」とうたわれる公演。かつて多くの座が興行を打っていた時代、役者とは1年ごとに契約を結び、期間を11月から翌年10月末までとするのが慣例だった。劇場が新しい役者陣を披露するため、毎年11月に開いた重要な興行が顔見世で、中でも南座のものは一番古い歴史を誇る。 松竹は1913(大正2)年に歌舞伎座の経営権を獲得すると、「東西合同大歌舞伎」として11月に歌舞伎座、12月に南座で顔見世興行を打つようになった。歌舞伎界を支える唯一の企業となり、毎年の出演契約が必要なくなった今でも、松竹はその伝統を守り続けているのだ。