ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー
ーー自然発生的な流れからアーティストになったんですね。
ブルーノ:1stアルバムを作った時から今でも、「アーティストになりたい」「有名になりたい」という気持ちはなくて、ただひたすらにいい音楽を作りたいだけなんだ。それと、常に人々に伝えたいことが自分の中にあって、それを表現するために音楽を作っているとも思うね。
ーー少し話を戻すと、ハードロック系のギタリストをヒーローに挙げられているのが意外でした。
ブルーノ:そうだよね(笑)。18歳頃まで全然ジャズに興味が無くて、ずっとHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)が好きだったんだ。ずっと“レスポール(Les Paul)”を使っているのもスラッシュの影響で、彼のプレイしている姿が神様に見えた日から使い始め、レコーディングも全て“レスポール”で行っているよ。いまでもHR/HMは好きで、ジムでトレーニングしている時などに聴いて「ワーッ!」って(笑)。
ある人物との出会いで音楽性が確立
ーーそのような背景もあって、ジャズをベースとしながらさまざまなジャンルのエッセンスも感じられる現在のスタイルが生まれたと思うのですが、どのような過程で確立していったのでしょうか?
ブルーノ:アーティストは基本的に、人生で聴いてきた音楽が制作する楽曲の土台になっていると思う。僕の場合、歌い方はチェット・ベイカー(Chet Baker)、ベースの弾き方はピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ビートの打ち込み方はJ・ディラ(J Dilla)、プロダクションの方法はディアンジェロ(D'Angelo)、プロデュースの仕方はジェイムス・ブレイク(James Blake)から学び、それを自分のパレットに乗せて絵を描くようなイメージなんだ。その中で、音楽性が確立したと思った瞬間は、共同プロデューサーのファイロー(Phairo)との出会いだね。彼はもともと、エレクトロニックのプロデューサーとしてイングランドのダンスミュージックシーンで活動していた人物で、「Wouldn't Mean A Thing」(2016年発表)という楽曲にヒップホップ調のビートを提供してくれた時、僕の音楽性が確立されたと感じたんだ。