ブルーノ・メジャーの素顔 「スポティファイ」リスナー毎月400万以上の人気シンガー
それからしばらく他のアーティストに楽曲を提供している中で、僕自身もアーティストとしてレーベル契約を結び、1stアルバムを制作したもののリリースしてもらえなかったんだ。だから、今のマネージャーと一緒に自主レコードレーベル「ハーバー(Harbour)」を立ち上げたのさ。ただ、作詞作曲から演奏、リミックス、プロデュースまで全てを自分たちで行う必要が生じたためデビューに時間がかかってしまい、1stアルバム「A Song for Every Moon」をリリースした時には27歳になっていたよ。思うに、遅すぎる年齢かもしれないけど、振り返ると必要な時間だったと思うね。
ーーアーティストとしてのデビューは、かねてからの夢だったのか、それとも作曲家として活動する中で芽生えた道なのでしょうか?
ブルーノ:幼い頃はアーティストよりも、バンドのギタリストになりたかったんだ。分かりやすい例えだと、ロバート・プラント(Robert Plant)やフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、アクセル・ローズ(Axl Rose)ではなく、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)やブライアン・メイ(Brian May)、スラッシュ(Slash)のような存在に憧れていたね。彼ら3人は、今でも僕のヒーローだよ。
それで、大学卒業後は結果としてセッションギタリストになったんだけど、本当は大学教授や講師など、音楽を教える側に回りたいと考えていたんだ。......正直に言うと、アーティストになることは夢のまた夢すぎる話で、考えたことがないというか、考えることが考えになかった。1stアルバムを制作した時も、ただ作曲が好きだから作っているうちに気に入った楽曲がいくつか溜まり、自分自身の記録も兼ねてレコーディングしたい気持ちが生まれ、その出来が良かったのでインターネットに載せてみたんだよ。すると、想像以上の反応が返ってきて、それがアーティスト活動のきっかけになったんだ。