「かっこよかった」と関西アートシーンで憧れられた作家、木下佳通代とは。「没後30年 木下佳通代」(大阪中之島美術館)担当学芸員インタビュー
「かっこいい」と評される作家像
──木下さんの抽象絵画は、たとえばこのブラッシュストロークは一見勢いで描いているようにも見えますが、実際はそうではないですよね。ひとつひとつを丁寧に面として塗っているというか。 大下:そこが非常に作家性の表れている部分だと思います。木下は制作プロセスとして、まずは頭のなかでしっかりと設計してから、手を動かしていたと私は考えています。本人が明言しているわけではないのですが、初期の制作手法を考えると、線の濃淡、太さ、92年以降の作品にみられる絵具の「垂れ」なども、綿密に考えられていたのではないかと。 それが如実に表れているのが写真作品で、特に折った紙を写したシリーズでは、紙の折る角度や折りこむ幅を計算して、事前に設計しています。ドローイングもたくさん残されているのですが、その殆どにサインとタイトルが付されていて、本人のなかでは習作ではなく、それぞれがひとつの作品だったようです。 ──そのときどきの情動に突き動かされるのではなく、非常に理知的に制作をされていらした方なんですね。 大下:生前お会いになっていた方々に話を聞くと、皆さん口を揃えて木下のことを「かっこよかった」と話しています。本当にスマートで、憧れる作家だったと。キリッとして歯に衣着せぬ物言いで、ズバッとなんでも言ってしまう強さもあったそうです。反面、感情豊かな方でもあったのでしょう。人と交流することがとても好きで、1階が絵画教室、2階が生活空間というスペースを設けて、そこに植松奎二さんはもちろん、辰野登恵子さんら関東でもよく知られた作家仲間がいつものように集まっていたようです。また根っからの子供好きだったそうで、子供たちにも絵を教えていました。喫茶店をやっていた時期もありました。
いま「木下佳通代展」をやる理由
──そんな木下佳通代の展覧会を、没後30年の節目とはいえ、なぜいま、このタイミングで開催することになったのでしょうか? 大下:私が木下佳通代という作家をきちんと認識したのは、2018年に当館の準備室に着任してからでした。私自身ほとんど知らなかったこの作家の作品が、当館では当時20点以上収蔵されていました。また関西の多くの美術館で少なからず収蔵されているということも知り、この作家に対する関西と関東での認知の差に驚きました。また、ヒューストン美術館で開催された『来るべき世界の為に 1968年から1979年における日本美術・写真における実験』展(2015)への出品をはじめ、バーゼル香港などで紹介された状況から、国際的な注目を集めつつある作家であることも分かった。日本国内でも、女性作家の再評価が進んでいる現在、木下の活動をぜひとも取り上げたいと思いました。 それからなにより、当時の木下を知る関係者の多くがご健在で、作家や当時の状況について、聞き取りがたくさんできたことも恵まれていました。木下自身、存命であれば85歳。それゆえ調査にご協力頂いた方にはご高齢の方も多く、こうしてお話を伺えたのは幸運だったことに間違いありません。 今年10月から、本展は埼玉県立近代美術館に巡回します。展示する作品こそ同じでも、関西と関東では目指すところが少し異なります。関西では個展として紹介することで作家の全体像を知る機会となることを期待するのに対し、そもそも展示機会の少なかった関東ではある種のデビュー戦というか、「認識してもらうための展覧会」となるのではないでしょうか。 ──海外のマーケットではどのような文脈で評価されるのでしょう? 大下:海外のマーケットが、「具体」や「もの派」に続く日本の戦後美術作品を探しているという状況があると思います。そのなかで、木下はまだあまり知られていません。本人は亡くなる直前、写真作品は評価されたが、ペインティングがまだ評価されていないと悔やんでいたそうです。本展では、作家の生涯を通して作品をお見せすることで、晩年まで「存在」というテーマを一貫して取り上げた木下佳通代の作家性を、きちんとご紹介することができたのではないかと思っています。