「かっこよかった」と関西アートシーンで憧れられた作家、木下佳通代とは。「没後30年 木下佳通代」(大阪中之島美術館)担当学芸員インタビュー
「写真と紙」の時代
──本展の展示構成は、木下佳通代の活動の軌跡がおよそ10年ごとに分けられ、学生時代に学んだことの延長線上で制作していた油彩画をまとめた第1章、写真と紙の第2章、そして再び第3章で油彩画へと戻っていきますね。この流れのなかに彼女の制作におけるメディウムと支持体の変遷を見ることができます。 大下:よく見ていただくと、ひとつの章のなかでも、さらに細かな変化が見て取れます。たとえば「2章 1972-1981」。上述の河口や植松など、この時代には多くの作家たちが写真を用いて作品を制作していました。木下もそれに呼応するように、コンセプチュアルな写真作品を制作しました。同じイメージの連続する写真を多数並べることで、変化や差異に注目させました。たとえば時計の針の動きや、温度計の温度などを写すことで時間経過や状況の変化を示します。最初はゼラチンシルバープリントで発表していますが、次第に薄く、目の粗い質感を好み、CHペーパーという感光紙を多用するようになります。 この頃は多くの作家たちが「時間」を題材として取り扱っています。木下も、自分自身の成長変化や、街の景色の移り変わりをコラージュしてつないでみるなど、像の変化のなかに時間的なものを取り込んだ作品を手掛けています。そうした流れのなかで、短期間ですがシルクスクリーンにもトライし、多数の組写真による表現とは違う方向から、認識と空間の問題を検討していきました。 その後は「時間」というテーマから次第に離れて、木下の代表的シリーズでもある図式的な作品へと移っていきます。たとえば、コンパスで円を描いて写真に撮り、その写真の上からフェルトペンでまた円を描く。角度をつけて撮影された円は、写真のなかでは楕円に見えます。しかし、見る人はそれを、「楕円が写っている」とは思わないわけです。意識のなかではきれいな円として認識されている。イメージと認識についての問題を表現しています。 そのうち、写真としてプリントした紙そのものを、支持体ではなく作品そのものとして扱うようになっていきます。支持体とメディウムとのあいだにある、ある種の従属的な関係ではなく、被写体として写されているものと、それを写した紙との関係を、等価に扱おうとしたのです。それが突き進んだ結果、図形的なイメージから、印画紙と映された紙の実寸が重なる様な作品に帰結していきました。