「かっこよかった」と関西アートシーンで憧れられた作家、木下佳通代とは。「没後30年 木下佳通代」(大阪中之島美術館)担当学芸員インタビュー
関西の美術館関係者たちのエールを受けて実現
──そもそも、木下さんの作品が関西の多くの美術館で所蔵されているのはどういった理由があるのでしょう? 大下:木下と同時代の美術館の学芸員や美術批評家が注目していた作家だったというのが当然あります。たとえば、西宮市大谷記念美術館の館長だった故・越智裕二郎さんや、京都市美術館の平野重光さんや中谷至宏さん、兵庫県立近代美術館(当時)の中島徳博さんなどが、熱心に研究されていました。当館準備室におり、後に和歌山県立近代美術館の館長を勤めた熊田司さんもそのひとりです。評価した批評家の中には中原佑介や高橋亨、乾由明などがいます。 また、大阪にあったAD&Aが晩年、木下佳通代の展覧会を開催しており、唯一のモノグラフを刊行しています。AD&Aは木下の没後、各地の美術館に作品が収まるよう尽くされたそうです。今回の展覧会でお借りした作品の多くが、所蔵履歴にAD&Aの名前を載せています。 ──関西の主要な美術館に収蔵されながら、これまであまりまとめて紹介される機会がなかったというのはなぜでしょう。 大下:木下が55歳と早く亡くなっているということが大きいと思います。加えて90年代に入って、ニュー・ペインティングや関西ニューウェーブなどの新しい美術動向に注目が集まったこと、当時まだ男性作家の個展の方が先行して開催されていたなど様々な理由が想像できます。 世界的に美術史における女性作家の再評価という動きはありますが、私としては木下が女性作家だから評価できるというよりも、その作品・活動などから当然取り上げるべき重要な作家だろうとの認識で企画しています。また、美術に関する言説の発信地が昔もいまも東京中心となっているとすると、関西を拠点にした作家がこぼれてきたという側面もあるでしょう。 ちなみに本展では、木下作品を所蔵するほぼすべての館から作品をお借りすることができました。皆様こころよく作品をお貸出しくださり、「こういう機会を作ってくれてありがたい」と言っていただくことも多く、背中を押していただいたように思います。本展を機に、さらに研究・検証が進むと嬉しいです。まだわからないことも多く残っています。 今回の展覧会に際して刊行したカタログもぜひ見ていただきたいです。熊田司さん、光田ゆりさん、埼玉県立近代美術館の建畠晢館長にご寄稿いただきました。また作家と交友の深かった植松奎二さんのインタビューを掲載するなど、300ページを超える大著になりました。ぜひ、お手に取ってみてください。 ──とても有意義で見応えのある展覧会ですし、これを機に木下さんのことを多くの人に知ってほしいですね。どうもありがとうございました。
福島夏子(編集部)