なぜ伊藤美誠は卓球女子シングルス初の五輪メダリストになれたのか…世界の常識を覆す「リスク承知のスマッシュ系フラットボール」
日本卓球界に新たな歴史が刻まれた。世界ランキング2位のエース、伊藤美誠(20・スターツ)が日本の五輪女子シングルス史上で初めてとなるメダリストになった。 東京五輪7日目の29日に東京体育館で行われたメダルマッチ。伊藤は準決勝で世界ランキング3位の孫穎莎(中国)に0-4で敗れたものの、ユー・モンユ(シンガポール)との3位決定戦を4-1で制して銅メダルを獲得。水谷隼(32・木下グループ)とのペアで頂点に立った、新種目の混合ダブルスに続く2つ目のメダルを手にした。 中国勢対決となった決勝は世界ランキング1位の陳夢が4-2で孫を撃破。卓球が正式競技になった1988年ソウル五輪から、9大会連続の金メダルを中国にもたらした。
「悔し涙」の理由
歴史を塗り替えても、伊藤に笑顔はなかった。10-6とリードして迎えた第5ゲーム。伊藤のサーブをモンユが打ち返せずにネットにかかり、銅メダル獲得が決まった瞬間も表情を変えずに、左手で小さくガッツポーズを作っただけだった。 フラッシュインタビューに応じている間には、瞳がどんどん潤んできた。インタビュアーから「それは悔し涙ですか」と問われた伊藤は、間髪入れずに答えた。 「はい、悔し涙です」 女子シングルスの金メダルだけを目指して東京五輪に臨んだ。だからこそ同じ2000年に生まれ、誕生日も2週間しか違わないライバル、孫に喫したまさかのストレート負けに募らせた悔しさが、銅メダリストから笑顔を奪い去っていた。 準決勝敗退から約7時間後に始まったモンユとの3位決定戦でも、6-6から5連続ポイントを奪われて第1ゲームを落とすなど、嫌な流れを引きずっていた。日本初のプロ卓球選手として4度の五輪に出場し、Tリーグ前チェアマンで現在はアンバサダーを務める松下浩二氏は「彼女のベストのプレーではなかった」と3位決定戦を振り返る。 「いつもは柔らかく、楽しげにプレーする表情が硬かった。緊張からなのか、あるいは悔しさからなのかはインタビューでも語ったように後者が理由だと思いますが、そうした心理状態でもしっかりと勝ったところに彼女の強さを感じますよね。途中からは戦い方がある程度まとまり、サーブなどで相手にミスをさせるようなプレーを随所に見せていたので」 2ゲームを連取して迎えた第4ゲーム。8-5から1ポイント差に追い上げられた場面で、伊藤は1試合に一度しか取れないタイムアウトを自ら申請。中学時代からタッグを組んできた松崎太佑コーチへ「攻め急ぎすぎている感じがする」と修正点を伝えた。 果たして、1分間のタイムアウトを境に3ポイントを連取。流れを引き戻し、ゲームカウントを3-1とした伊藤に、松下氏も「自らを客観的に見ていた」と称賛する。