なぜ伊藤美誠は卓球女子シングルス初の五輪メダリストになれたのか…世界の常識を覆す「リスク承知のスマッシュ系フラットボール」
「私自身もタイムアウトを取るべきだと思って見ていました。トップの選手はここだというタイミングでタイムアウトを上手く使います。試合の流れを読む感性と自分自身をよく理解している点で、やはり並の選手ではないと思わずにはいられませんでした」 国際卓球連盟(ITTF)が発表する最新の世界ランキングを見ると、陳、伊藤、孫の後も4位から7位まで中国勢が続いている。5位には前回リオデジャネイロ五輪の女子シングルスを制した丁寧が名を連ねる状況で、中国は陳と孫を女子シングルス代表に選んだ。 世界ランキングだけが理由ではない。松下氏は「明らかに伊藤選手に勝てる選手を選んでいます」と指摘する。伊藤との対戦成績を見れば、陳は4戦全勝で孫は6勝1敗。伊藤が孫から唯一の勝利をあげた2019年10月以降は、4連勝で東京五輪を迎えていた。 世界ランキング上位の中国勢を次々と破ってきた2018年以降の伊藤に対して、卓球王国の牙城に風穴を開ける天敵という意味を込めて、中国メディアは「大魔王」という異名をつけている。ゆえに東京五輪に臨むシングルス代表も、伊藤との相性が最優先された。 それでも、負け越しているとはいえ孫とは接戦が多かった。一転してストレートで決着がついた背景には伊藤を研究し尽くし、入念に準備された対策があったと松下氏は指摘する。 「どちらかと言えば同じようなテンポで打ってくる孫選手が、ちょっと山なりの緩いボール、いわゆる無回転のナックル系を混ぜて伊藤選手のタイミングをずらして、ミスを誘う場面が多かったですね。野球のチェンジアップのように、基本的に速いボールを待っている状況で緩いボールを混ぜられると体重が先に前方へ移ってしまい、威力のあるボールを打ち返せない。ヤマもかけづらい状況では、どうしてもミスが増えてくる。自らのショットでなかなかポイントを奪えないと、どうしても自分の流れに持ち込めなくなってしまいます」 第1ゲームは8連続ポイントを奪われるなど3-11で落とした。第2ゲームでは9-3と優位に立ちながら、再び8連続ポイントを奪われて大逆転された。9-7となった段階で松崎コーチがタイムアウトを取るも、孫に傾いた流れを食い止められなかった。 40分にも満たない時間で孫に敗れた直後のフラッシュインタビュー。第2ゲームをターニングポイントとしてあげた伊藤は、必死に涙をこらえながら「やっていることは悪くなかったと思いますけど、0-4ということで惜しくもなかった」と悔しがった。 しかし、あえてプレースタイルを変えてきた孫の試合運びは、イコール、伊藤が警戒されている証でもある。卓球台の近くに立って強打を連発する伊藤のスタイルに、松下氏は「もっと完成度を高めていけば必ずチャンスがある」と打倒・中国への期待を込める。 「伊藤選手のようなスタイルでプレーするトップ選手は、中国勢を含めていまの卓球界にはなかなかいない。大半が卓球台からちょっと下がった位置からドライブ回転をかけて、安定感を重視しながらプレーします。伊藤選手のようにスマッシュ系のボールをフラットで打っていくスタイルは、ミスを犯すリスクがある一方で対戦相手の脅威になる。準決勝のようにタイミングを外され、思うようにプレーできなくなった状況を上手く切り抜けられる術を身につけられれば、さらにもっと上を目指せるでしょう。不完全燃焼的な思いで手にした銅メダルと考えれば、悔しさも糧になります。私は彼女の今後を非常に楽しみにしています」