作詞家・麻生圭子「進行性の感音難聴でほとんど聴力を失って。京都からロンドン、琵琶湖畔に移り住み8年。森林の匂い、気配、色彩、湿度を感じる生活」
1980年代、「セシル」「You Gotta Chance」「最後の言い訳」など数多くのヒット曲の作詞家として活躍してきた麻生圭子さん。聴力の衰える病気が深刻化したため、エッセイストに転向。その後、結婚し、京都、ロンドンを経て、琵琶湖畔に移り住み、夫婦でセルフリノベーションした水辺の家での生活を楽しんでいるようです 【写真】3歳の黒猫・麒麟。何を見つめているの? * * * * * * * 桜は水辺が似合います。少しまだ水は冷たいのですが、この季節になると、湖にカヤックで漕ぎ出す私。実は8年前から琵琶湖畔に住んでいるのです。 琵琶湖の北には有名な桜の名所があります。湖岸の崖沿いに4kmの桜並木が続いていて、沿道はこの季節になると桜渋滞が。でも地元の人たちは渋滞とは無縁。湖上の舟から眺めるのです。湖に張り出した桜の下で舟を止めれば、空から花びらが降ってくる。湖面には無数の花いかだ。桜色の天空、天の川です。 私もそっち側に行きたい。 そんな理由からカヤックを始めました。 まずはスクールで基礎的なことを教えてもらい、マイカヤックを購入。インドア派だった私が、ライフジャケットを着て、パドルを漕ぐのです。60の手習いも悪くない。鍼灸より肩凝りに効くのもうれしい誤算でした。 パドルを置き、じっと浮かんでいると、湖と一体化してくるせいか、水鳥も魚も逃げなくなるんです。360度のパノラマに心の凝りもほぐれ、しあわせかもと思えてくる。 水は辛いことを流し、美しいものを浮かび上がらせてくれるような気がします。 夜明けに向かってカヤックを漕ぎ出し、空が白んだところで、湖岸を振り返ると、桜が浮かび上がっている。霧のような桜。それは幻想的な美しさでした。
私が住む湖西(琵琶湖の西)は、平地が少なく、背後はすぐに比良の山々(南は比叡山に続く)が迫っています。 森に入りたくて、登山靴を買って、トレッキングも始めました。もちろん初めてです。登山が得意な夫が付き添ってくれます。夫は樹木に詳しいので。名前や特徴を教えてくれます。手でふれると、樹木によって温度が違うんですよね。石もそうです。岩を伝いながら、滝を見に行ったこともあります。滝壺に足をつけて、これが本当の森林浴。そうそう、鹿の、コロコロした糞も素手で触れるようになりました。 私は、進行性の感音難聴で、琵琶湖畔に移り住んだときは、ほとんど聴力を失っていました。その代わりに、嗅覚、視覚、触覚は、若いころより敏感になったように思います。森林の匂い、気配、色彩、湿度。 失ったものを脳は補おうとする。 なくすことで増えるものがある。 音楽を聴くことはできなくなったけれど、それらに代わるものを、私は手にしたのです。
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