「ハンバーグを知らず何を聞いても無言の子に絶望したことも」不妊治療を経て里親になった女性「35歳の私が最年少だった」
「この子たちはスペシャルなことは求めていない。日常がなかったんだ。いまはごく普通の日常を一緒に過ごすことが何よりも大事なんだ」と痛感して、打ちのめされました。だって、5歳で白米しか知らないなんて、どんなに冷たい世界で放置されていたかわかるじゃないですか。もちろん歯磨きの習慣もなく、就寝時間も決まっていないから、眠くなったらゴロゴロするような状態。だから、まず毎日お風呂に入ることからスタートしました。結局、その子は親の都合で数か月後に実母のもとに帰っていきましたが…。
■特別養子縁組には長蛇の列、なのに里親は…世の中の不条理 ── 戸籍上も親子となり一生責任を持って育てる「特別養子縁組」という制度もありますが、岩朝さんはなぜ養育里親を選択されたのでしょうか? 岩朝さん:私も最初は特別養子縁組しか考えていませんでした。でも、特別養子縁組として子どもを迎えるための条件はすごく厳しくて、当時は年間300人ほど。今でも特別養子縁組が成立した子どもは年間に600人程度しかいません。
私はそのことを里親制度の説明会で初めて知り、「じゃあ、乳児院や児童養護施設で暮らしている子どもたちはどうなっているんだろう」と思って調べたんです。そうしたら、親が加害者で自宅に帰せない、親権者が服役中、精神疾患や薬物中毒で入院中など、何らかの課題があって親が養育できない子どもなのだとわかって。「今、必要なのは特別養子縁組ではなくて、里親として一時的に養育してくれる人なんだ」と痛感しました。 ── そうなんですね。お恥ずかしながら、私も今までよく理解していませんでした。
岩朝さん:私は里親や特別養子縁組のことを35歳で知りましたが、世間では全然知られていません。特に若い方に知ってほしいのは、不妊治療は一般的に45歳くらいまで可能とされているものの、その年齢まで治療を続けてしまうと、特別養子縁組で子どもを迎えることができる可能性は数パーセントしかないということ。ましてや特別養子縁組を希望される方は、みなさん「赤ちゃんがほしい」という思いで里親制度の門をたたきますが、そのときに知るのは、40歳をすぎた里親は特別養子縁組として子どもを迎えられる可能性はかなり低いという現実です。