秋吉久美子×下重暁子『母を葬る』 2人が語る母親との関係。秋吉「母は家庭内キャリアウーマン、お手製ジャムに洋服も仕立てて」
◆母の献身 秋吉 母は器用な人でした。レーズン入りのそば饅頭やいちじくジャムなんかもお手製だったし、お寿司も握りました。「今日のお昼、おうどんでいい?」って訊くから、「うん、いいよ」と答えたら、台所でせっせとうどん粉をこねてるんですよ。 下重 すごい。 秋吉 洋服も仕立ててくれました。編み機でコートをつくり、そこに手縫いでモヘアの白い襟をつけてくれて。成長すると、糸をほどいてそれをカーディガンにして、その後、私も妹も着られなくなるとまたほどいて、セーターを編んでくれました。 下重 ものがない時代でしたからね。それにしても大変な献身ね。 秋吉 下着も手づくりだったの。 下重 まさかブラジャーも? 秋吉 さすがにそこまではしませんでしたが、カーテンの端切れで私のパンティーをつくってくれていました。他の女の子たちはみんなつるりとしたナイロンの下着なのに、私はごわごわのパンティー……というより、ズロースみたいなものを穿いていた。新学期の身体測定では自分だけが手づくりシミーズに、手づくりズロース。なんだか居心地が悪かった。 下重 シミーズにズロースね、わかりますよ。
◆母が生きた時代の女性のあり方 秋吉 母は家庭内キャリアウーマンだったと思います。字も上手でした。身だしなみに気を遣っていて、朝、私が起きると母はすでに着物姿。眉がきれいに描かれていました。 下重 そういえば、うちの母もきちんとしていました。女性たるもの、素顔を夫にみせてはいけないとさえいわれた時代でした。 秋吉 女優になってから、仕事で私の付き人をしていた女性が、ボーイフレンドに「俺の目の前で着替えるな」っていわれたんですって。みっともないからって。 下重 なるほど……。 秋吉 それをたまたま隣で聞いていた母は、たった一言、「私も、お父さんの前で下着になったことはないわ」とつぶやいたんです。あの時に初めて気づきましたが、私も母の下着姿はみたことがありませんでした。そして、父がステテコ姿で過ごす姿も覚えがない。 下重 私とつれあいも家で下着姿では過ごさない。そういうしつけを受けてきたわけですね。 ※本稿は、『母を葬る』(新潮社)の一部を再編集したものです。
秋吉久美子,下重暁子