秋吉久美子×下重暁子『母を葬る』 2人が語る母親との関係。秋吉「母は家庭内キャリアウーマン、お手製ジャムに洋服も仕立てて」
親を看取る時が訪れたら…どのように受け入れ、それから先の人生を歩んでいけばいいのでしょうか。年月が過ぎても「母を葬(おく)る」ことができないのはなぜか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんが“家族”について語り合った『母を葬る』より、一部抜粋してご紹介します。お二人が幼少期に見ていた、母の姿とは―― 【写真】秋吉さんと母との関係性は… * * * * * * * ◆二人のマサコさん 下重 秋吉さん、お母さまとのご関係は? 秋吉 物心ついた頃から親友みたいな関係でした。ろくにけんかしたこともなくって。 下重 にわかには信じがたい。 秋吉 母は「まさ子」というのですが──。 下重 えっ、うちの母も同じ名前よ。“みやび”に子どもの子で「雅子」。 秋吉 こんな偶然ってあるんですね。 私の母は何度か表記を変えているんですよ。最初は「正子」でした。でも“正しい子”だとどうも名前が強い。第一子の私を産む時に二晩もかかってとても苦しんだので、字画がよくない──と判断したみたい。それで、一時期は下重さんのお母さまと同じ、雅やかな「雅子」だったんですよ。その次は、ひらがなで「まさ子」。どうも、父と私が険悪な関係になるのをみて、おだやかな字面にしたみたいなんです。 下重 そんな経緯があったんですね。
◆母との関係 秋吉 戸籍は変えていないはずですが、手紙には「まさ子」って署名していました。 母と私はとっても仲良しで、母は100パーセント、ううん、120パーセントくらいの信頼を寄せてくれていたと思います。味方にして理解者、一心同体の存在だった。 そんな母を基準としていたものだから、社会に放り込まれた時にちょっとした勘違いが生じました。母がしてくれたような手厚いケアを受けられないと、「ちょっとこれ、問題なんじゃない?」っていちいち思ってしまう、自覚のない傲慢さがあったんです。 下重 私にも似たようなところが。 秋吉 先ほどおっしゃっていましたよね、お母さまに猫かわいがりされていた。 私はふっと「今日、学校に行きたくない」と感じることがありました。母は叱ることもなく一緒にスーパーへ買い物に行き、私は上機嫌になりました。 下重 それでは、お母さまにはなんでも話せましたか。 秋吉 積極的にあれこれ話すわけではなかったけれど、会話を交わさなくてもわかり合える関係だったと感じます。 下重 波長が合う、ツーカーの仲。