米朝会談の始まりで「アジアの冷戦」は終わるのか
歴史的な会談とうたわれた米朝首脳会談では、朝鮮戦争の終結宣言にも注目が集まりましたが、今回の会談では見送られました。非核化の本格的な道筋とともに今後の協議に委ねられることになりましたが、東西冷戦の終結以降もアジアに残っていた「冷戦」もついに終わることになるのでしょうか。国際政治学者の六辻彰二氏に寄稿してもらいました。 【写真】トランプでも金正恩でもなく「北朝鮮問題」の本質は「中国問題」
◇ 6月12日、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長がシンガポールで会談。世界中から注目を集めながらも、交わされた合意文書は非核化などに関して具体的な内容に乏しいものになりました。 米朝の実質的な協議は今後に委ねられますが、そこには「非核化」や「体制の保証」だけでなく、終戦協定が結ばれていない朝鮮戦争(1950~53年)の終結も含まれます。 朝鮮戦争は冷戦構造のもと、東西陣営の代理戦争として発生し、その後も米朝が潜在的に敵国であり続ける大きな背景となってきました。今後の米朝首脳会談で北朝鮮を取り巻く緊張が緩和され、朝鮮戦争が終結すれば、アジアから冷戦構造が一掃されることを意味するのでしょうか。
アジアに残る冷戦
まず冷戦について簡単にまとめます。フランスの社会学者レイモン・アロンは冷戦を指して「平和は不可能だが戦争もありそうにない状態」と表現しました。 第二次世界大戦後の東西冷戦の時代、アメリカとソ連がそれぞれ率いる西側の資本主義陣営、東側の共産主義陣営はイデオロギー的に対立し、ヒト、モノ、カネなどの移動も厳しく制限されていました。お互いに相手の様子をうかがうことさえできない状況は、「鉄のカーテン」が降りているとも形容されました。 その一方で、両陣営は決して友好的になれないまでも、直接衝突を避け続けました。米ソがそれぞれ核ミサイルを保有していたことが、核戦争に発展しかねない直接衝突を、両陣営に自重させる要因になったのです。 この東西冷戦は1989年の米ソ首脳による「マルタ会談」で終結。それにともない、東欧諸国では共産主義体制が崩壊し、民主化、市場経済化が進みました。それと同時に、東西ヨーロッパを隔てていた「鉄のカーテン」は取り払われ、ヒト、モノ、カネの移動も活発化。第二次世界大戦の末期、米ソの勢力圏に沿って分断されていた東西ドイツが1990年に統一されたことは、冷戦終結の象徴でもありました。 これとは対照的に、やはり大戦末期に米ソの勢力圏に沿って分断された朝鮮半島は南北に分断されたままで、交流も制限されています。そのうえ、北朝鮮が核武装したことで、日米韓との間の「平和は不可能だが戦争もありそうにない」状態は、かえって強固になりました。アジアには冷戦構造が、いまだに残っているのです。