80年代グラフィティ界のレジェンド、FUTURAにインタビュー!
80年代のNYを振り返って
──アンディ・ウォーホル、ジャン=ミシェル・バスキア、キース・へリングなど、伝説ともいえる1980年代NYアートシーンに貢献した一人ですが、あの歴史的な時代にアーティストとして得た経験はどのようなものだったのでしょうか? 画家としてキャリアをスタートしましたが、80年代当時の私は時代の先を行ってしまっていたので、出番はそう多くはありませんでした。アート熱がみなぎっていた素晴らしい時代ではありましたが、悲しいことに長続きはしなかった。なぜならシーンを牽引していたキース(・ヘリング)や、ジャン=ミシェル(バスキア)、アンディ(・ウォーホル)を失ってしまったからです。主役たちが舞台から消えたことにより、ムーブメントも終焉を迎えてしまいました。さらに90年代初頭は、誰も絵画などに関心がなかったので、私は自分の身の振り方を考えねばなりませんでした。 ──NYからLAカルチャーに目を向けるようになったのは、その頃なんですね。 当時LAストリートカルチャーのゴッドファーザー的存在だったスケートボーダーのショーン・ステューシーに声をかけ、Tシャツやパーカーを手がけさせてもらいました。LAはスケートボードカルチャーが盛り上がっていましたから。当時は資金もコネも何もない、本当のどん底からスタートだったので、それが後にストリートウェアムーブメントと呼ばれて定着するとは思ってもいませんでした。ただ、そこで初めて本当に自分が表現したいものができるようになった。 90年代に入って初めて、私のアートが人々に届くようになったと感じました。そして90年代半ばにはパソコンも普及し始め、前述したように初来日をして多くの日本の友人たちと出会えたのです。2000年代の話をすると、最近はバンクシーの登場など、ストリートアートの復活の兆しが見えてきました。このように時代は循環しているわけですが、大きな変化は人々がネットワーク一つでコミュニケートしてつながることが可能になった点です。世界中で境界線がなくなり、あらゆる世代の人たちと自由につながることができる。私たちが生み出したものが多く人たちを刺激し、それが継承されてさまざまな形で発展していくのを体感できるというのは、本当に素晴らしいことだと思っています。キースもミシェルも90年代に入る前に、それも30歳前後で亡くなってしまったので、彼らがこの時代を生きていないことを本当に残念に思っています。 ──作品作りにおいて「サプライズ」を大切にしているとおっしゃっていましたが、今回のコラボレーションでも「サプライズ」はありましたか? 前述したように、今回はトートバッグが私にとって最高のサプライズとなりました。ですが、私は抽象画家なので作品自体が自然発生的なものだったりする。そのため、常に偶然が生むサプライズを期待しています。描き始めたらその流れと偶然の導きによって作品が完成するんです。もちろん何かが足りないと思ったら足し、不要だと思ったら排除する。色や空間のバランスは大切にしていますが、意図せずして起きる化学反応ほどクールなものはないですね。
写真・菅野恒平 文・柴崎里絵子 編集・橋田真木(GQ)