無痛分娩も帝王切開もできず、産後も苦行が続く…「多くの妊婦が死に至る」江戸時代の過酷な出産風景
■妊婦が失神するのは胎児が喉へ手を入れるから? さて、妊娠しているあいだ、体調を崩したり問題が発生したときは現在と同様、薬を服用した(といっても漢方薬だが……)。とくに多くの人びとが信じていた薬の処方箋は『中条流産科全書』に記されたものだった。 仙台藩士の中条帯刀が創始した産科術をその子孫や門弟が広めたのが中条流産科術である。そんな中条流のお産術を大坂の医者・戸田旭山が体系的にまとめたのが『中条流産科全書』(宝暦元年・1751)だ。 ただ、その内容の多くは理にかなっておらず、かえって症状を悪化させる可能性があるものだった。 たとえば、「母、外の事なく、度々気をとり失う時は、子、母の喉へ手をつき入るゝと知るへし。此の時、煎湯の中へ藍の実、末して入るべし」とある。「妊婦がたびたび気を失うのは、胎児が母親の喉へ手を突き入れているからで、藍の実を粉にして煮詰めたお湯を飲みなさい」という意味だ。 確かに藍の実は漢方薬にもなり、それを煎じて飲むと、解毒や止血、喉頭炎などに効果があるとされているが、とても失神に効果があるとは思えないし、そもそも胎児が母の喉に手を入れることはあり得ない。 ■非科学的なお産術がまかり通っていた また、『中条流産科全書』には「難産で苦しいときは、八升(1.8リットル×8倍)の水を熱く沸かし、鍬を焼いてその湯に入れ、ぐつぐつと煮え立ったとき、鍬を引き上げ、その湯で『足の曲がり』(足首や膝裏のことか?)の下を洗うとよい」と記されている。 もちろん何の科学的根拠もない。この程度の処方箋なら笑って済ませられるが、「お産のときに下痢をしたら烏の卵を黒焼きにして酒に入れて飲め」とか「お産のとき、藍の実を子宮に塗ると難産にならない」ということが書かれており、そんなことを本当に実践したら、死なないまでも逆に症状が悪化してしまうだろう。 さて、いよいよ出産である。 それなりの資産を持つ家柄の妊婦は、陣痛がはじまると、産室と呼ばれる狭い部屋や小屋へ移され、産婆の助けを借りて出産するのが一般的であった。出産は穢れという考え方が強く、日常の生活空間から遠ざけたのである。