無痛分娩も帝王切開もできず、産後も苦行が続く…「多くの妊婦が死に至る」江戸時代の過酷な出産風景
■座位出産は日本古来のスタイルだが… 驚くべきは、当時の出産体位であろう。座位なのだ。妊婦が用いる椅子を「椅褥」というが、そうした椅子や布団を重ねたものを敷いて壁に寄りかかるなどして、座ったままで子どもを産み落としたのである。 ただ、座位というのはすでに縄文時代の土偶や平安時代の絵巻物にも登場し、日本古来のスタイルだったことがわかっている。いきむときには天井から吊るした縄(泰産縄)にしがみついた。これも理にかなっている。 ただ、むごいのは、いくら辛くても横臥できないことであった。たとえば先の『中条流産科全書』には、「産に向ひ身持様の、側へよりかかる事なかれ。胸腹痛むとて仰くなかれ、子返りせんとて痛むものなり」と書かれているのだ。 こうして、ようやく大変な出産を終えた。妊婦もようやく横になってゆっくり眠ることができる。そう思うのは、大きな間違いだ。 ■出産後も座り続け、大便入りの薬を飲まされた 『中条流産科全書』には、「物によりかからせ、足を少し屈め、少しつゝ睡らせ、多くねむらせず。酢をはなにぬり、振薬(泡立てた薬)に童便(赤子の大便)少しつゝ加へて用ゆる也」 とある。なんと子どもを産んだそのあとも、妊婦は寄りかかりながらも座り続けなくてはならない。足を伸ばして寝てしまうと、頭に血がのぼって病気になると固く信じられていたからだ。しかも、あまり眠らないように、鼻に酢を塗りつけられ、赤ん坊の大便入りの薬を飲まされる。これでは、たまったものではない。 しかも残酷なことに、その苦行は数日間続いた。うっかり熟睡してしまうと、鬼に生まれたばかりの子の魂を奪われてしまうと信じる地域もあり、新生児を守るために母親が寝ずの番をしていなくてはならなかった。 そんなわけで親族の女性たちが代わるがわる出産した母親のもとに付き添い、大きな声でおしゃべりするなどして彼女を寝かせないように見張っていたという。まさに拷問以外の何ものでもない。 その後、睡眠がゆるされるようになっても、産後数週間は座る生活を強(し)いられたのである。江戸時代、妊婦の死亡率が高かった理由がよくわかるだろう。 ---------- 河合 敦(かわい・あつし) 歴史作家 1965年生まれ。東京都出身。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。著書に、『逆転した日本史』『禁断の江戸史』『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』(扶桑社新書)、『渋沢栄一と岩崎弥太郎』(幻冬舎新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)、『最強の教訓! 日本史』(PHP文庫)、『最新の日本史』(青春新書)、『窮鼠の一矢』(新泉社)など多数 ----------
歴史作家 河合 敦