有名人に学ぶ「美しい最期」の迎え方…重要なのは誰かに「命のたすき」をつなぐことだった
「もう孤独死も覚悟している。だから、家に帰らせてくれ」
周りに多少の面倒や心配を掛けてもいい。「これだけはやり遂げたい」という目標を持って残りの日々を過ごした人もまた、美しい最期を迎えられるのだ。 有名人の最期ばかりが見事なわけではない。 「特別なことをする必要はなく、人生をともに過ごした大切な人のことを思いながらそのときを迎えるのも、立派な逝き方だと思います」 こう語るのは、緩和ケア医として多くの患者を看取ってきた奥野滋子医師だ。 奥野医師が紹介するのは、80代の男性・葛西さん(仮名)のケース。奥さんを誤嚥性肺炎で亡くしたこの男性は、亡くなるまでの1年ほどの期間、一人暮らしをしていた。 ある日、葛西さんは腰椎を圧迫骨折して入院。完治して退院することは難しく、病院の関係者は、療養型の病院か施設に入るしかないと思っていたという。 ところが葛西さんは、 「もう孤独死も覚悟している。だから、家に帰らせてくれ」 と懇願したのだ。 「どうしてそこまで家に帰りたいのかと理由を聞いたら『自分の先はもう長くない。それなら、妻の仏壇に毎日花を供えて、手を合わせたい。それが私の最後の生きがいなんです』とおっしゃるんです。杖をつきながらゼーゼーと歩くのがやっとという状態にもかかわらず、固い意志を持っていらっしゃいました。 そこで私たちで話をして、自宅で最低限の生活を送るための支援策と、いくつかのルールを決めました」
「救急車は呼ばないで」
一番重要なルールは「ヘルパーさんや訪問看護師が家を訪ねたときに葛西さんが倒れていても、救急車を呼ばない」。救急車を呼ぶと、蘇生されてその後は病院で死ぬまで過ごすことになる。それは葛西さんの望みではなかった。 「奥さんに手を合わせながら、二人過ごした自宅でゆっくりと最期を迎える。それがどんなに不自由で苦しくてもよかったのです」 葛西さんは人の手を借りながら自宅に戻り一人暮らしを再開した。 ある日、訪問看護師がケアのために葛西さん宅を訪ねたが、チャイムを鳴らしても出てこない。キーボックスの中にあった鍵を使って中に入ると、葛西さんは風呂場で倒れていた。連絡を受けた奥野医師が駆けつけたときには、すでに亡くなっていた。 発見した瞬間に救急車を呼べば、しばらくの間心臓は動いたかもしれない。しかし葛西さんの望みに従い、旅立ちが近いと判断した看護師は、救急車を呼ばずにかたわらに寄り添った。 室内を見渡すと、奥さんの仏壇の前にはその朝に供えたご飯とお水があったという。 「みんなで葛西さんをベッドに運んで、部屋にあった奥さんの遺影を借りて、本人に抱いてもらいました。孤独死とも言えるんだけれど、周りに『自分はこんな最期を迎えたい』と意志を伝えて、亡くなった奥さんとの思い出を抱きながらスタッフに見守られて旅立たれたのです。 私たちも葛西さんの亡くなり方を目の当たりにして、『こんな強い意志を持って自分の最期を決められるだろうか』と自問しました。改めて、幸せな最期とは何なのかを考える機会をいただいたと思っています」