時代を見るためSNS活用 写真家コバヤシモトユキの生き方
近年、スマホのカメラは既存カメラメーカーからシェアを奪うほど進歩し、あわせてSNS普及で人々と写真との関わり方は激変しつつある。いまや誰もがその場で写真を撮って発信者になれる。写真の在り方はどう変わっていくのか。フィルムの時代にデビューし広告やファッションの第一線で活躍してきた写真家で映画監督のコバヤシモトユキ(57、旧名義:小林基行、小林幹幸)さんは、SNSを時代を見るために活用する一人だ。 【写真特集】写真家コバヤシモトユキの“記憶”
写真は時代で変わる いまならSNSの中で仕事ができていく
「写真というものは時代で変わって行きます。時代に合わないとヒットしないんですよね。DCブランドブームのときは若手の人たちはファッションカメラマンとして出てきたんです。僕のときはイカ天(いかすバンド天国)ブームだったので音楽カメラマンが量産された時代でした。いまならSNSの中で仕事ができていく。その時代によってカメラマンの質が変わってくるんです」 コバヤシさんの口からは“時代”を意識する言葉が次々とほとばしる。東京工芸大学短期大学部(現東京工芸大学)卒業後、著名写真家のアシスタントを経て1989年に独立した。ちょうど昭和から平成に時代が移り変わったタイミングだ。 「当時音楽の写真をメインにしていたのですが、湾岸戦争があったわけです。91年頃、レディースコミックの表紙を撮ることになって外国人モデルをスカウトしに六本木に通っていたんですが、イラクから帰ってきた米兵で街は外国みたいな状況。そこで帰還兵のドキュメントをモデルの仕事とバーターで撮らせてもらったんです」 湾岸戦争中の帰還兵やファッションモデルたちのドキュメント『ROPPONGI DAYS』で92年、PARCOプロミッシングフォトグラファーズに選出。期待の若手写真家として頭角を現すと、着々とキャリアを重ねた。 “渋谷系”といわれるサブカルチャーを生み出した雑誌のひとつ『IN NATURAL』では4年間に渡り表紙と巻頭を担当、永瀬正敏、本木雅弘、浅野忠信、福山雅治、松たか子、中谷美紀、梨花らがカバーを飾った。また、同誌で連載した『TOKYO COLLABORATION』をまとめた写真集『TOKYO MODELS』は93年、29歳のときに出版したが、ファッション業界の日本人モデルブームに貢献した。