「脳性まひで重度障害」東京パラリンピックの障害者リポーター千葉絵里菜(29)「私がまさか結婚ができるとは」
■「いずれは親から自立しなくては…」大学ではひとり暮らしに挑戦 ── その後、高校、大学と受験で進学されています。大学選びのポイントは何でしたか? 千葉さん:中学生のときに車椅子カーリングを始めたのですが、一緒にカーリングをする仲間は私みたいに生まれつきではなく、怪我のために車椅子になった人が大勢いました。私は地域の学校に通ってきたからこそ、中学生になるまでは自分以外の車椅子ユーザーと会ったことがなかったんですね。そこで、障害や福祉についてもっと知りたいと思い、福祉を学べる札幌学院大学に入学しました。
札幌学院大学には当時「バリアフリー委員会」という学生と教職員有志によるボランティア団体があり、実際に車椅子ユーザーやほかの障害を持った先輩がその助けを得ながら学んでいたのも決め手のひとつでした。たとえば身体や目、耳が不自由でノートが取れない学生の隣で筆記代行やノートテイクをしてくれるといった活動を通して、サポートを受けながら学べる体制が整っていました。ほかにも雪道では車椅子で通学できないので、バリアフリー委員会のメンバーがシフトを組んで通学の手助けをしてくれることもありました。
あとは、「実家から離れたかった」というのもあります。大学は実家からだと車で3時間かかる場所にあるので、ひとり暮らしをするのにちょうどいいと思いました。それまで親に何もかもサポートしてもらって「温室育ち」と言われていたけれど、やはり親はいつか自分より先にいなくなってしまうので…。将来のことを考えて自立しなくてはという思いがありました。 ── ひとり暮らしをしてみていかがでしたか? 千葉さん:すごく楽しかったです!今までは常に親が一緒にいるのが当たり前だったので、友達と飲んでカラオケに行って、ということが当たり前にできる生活がすごく新鮮で毎日楽しくて仕方なかったです。
── 大変だったことは何ですか? 千葉さん:もちろん失敗もありました。電子レンジの置き場所が冷蔵庫のうえしかなかったのですが、リゾットを電子レンジで温めて取り出すときに失敗してやけどをしたことや、車椅子が雪に埋もれて、通りかかった方に助けてもらったことなど。でも、楽しさのほうが大きかったです。そのころは居宅介護支援サービスを利用していたので、食事に関しては2時間単位のスポットで来てくれる介助の方につくり置きしてもらって乗りきっていました。