「銃の民主主義」 アメリカ大統領選挙がわたしたちに教えたもの
民主主義にモデルはない
アメリカや日本がモデルとした英国の議会は、保守党に対して、かつては自由党、今は労働党という革新が対峙する二大政党制である。保守(コンサーバティブ)というあまりイメージが良いとはいえない言葉を党名にしているのは、革命騒ぎに揺れたヨーロッパ大陸に対するイギリスの伝統志向を表すのだろう。 この保守 vs 革新が、アメリカでは、共和党 vs 民主党、日本では、自民党 vs 社会党民主党系になるのだが、ベルリンの壁崩壊以来、革新の国際的な理念が崩れ、それぞれの国に応じた対立軸となっている。そこに、イギリスでは揉めに揉めたブレグジット(EU離脱トラブル)のようなことが起き、アメリカではトランプのような人物が大統領になり、日本では安倍一強政権による事実上の憲法改正といわれる安保法制が成立するのだ。 歴史を振り返れば、フランスはナポレオンの時代、ドイツはヒトラーの時代、イタリアはムッソリーニの時代、スペインはフランコの時代を経験し、ヨーロッパ各国の民主主義も決して平坦な道ではなかった。現在も、植民地主義の負の遺産ともいうべき、人種と宗教が絡んだテロが多発している。また韓国では、政権交代のあと、前大統領が訴追され、きわめて厳しい刑に服すのが通例だが、これも三韓の歴史と、儒教と絡んだ両班階級、「恨の文化」を背景にした「恨の民主主義」というべきであろうか。そしてこちらも自殺者が多い。 つまり、民主主義国といえども、それぞれの国の文化的背景によって成立しているのであって、完全なモデルというようなものは存在しないのである。
民主の一線と文化的多様性
今日本は、アメリカと中国のデカップリング(分離・切り離し)という、大きな岐路に立たされている。 軍事的には、同盟国であるアメリカとともに歩むこと以外に選択肢がないのだが、経済的には、中国との関係がきわめて太い。そこに、米中がしのぎを削る情報技術や軍事技術に関連するものは中国との関係を断ち切れという、アメリカからの強い圧力がかかっているのだ。とはいえ高度な工業製品の多くは、情報と軍事に何らかの関わりがあって、日中相互の複雑なサプライチェーンは、簡単に断ち切れるものではない。 その「中国と決別せよ」という論拠として、人権、自由、法治、民主主義といった価値観を同じくする国家の連帯ということがいわれる。これまでどちらかといえば革新側から語られていた理念が、保守側から語られるようになったのはそのためである。とはいえ今述べてきたように、そういった民主主義的な理念の実態は国によって文化によって違っている。世界には、さまざまな民主主義があり、さまざまな非民主主義があるというのが現実だ。 しかしそれでもなお、民主的な政治体制の国家と非民主的な政治体制の国家とのあいだには、画すべき一線があるように思われる。「銃の民主主義」であろうと、「家の民主主義」であろうと、「恨の民主主義」であろうと、(現在の政権は少し疑問であるにせよ)それぞれに民主的であろうとしていることは事実なのだ。 つまり日本は、その「民主の一線」を守りつつも、それぞれの国の文化的多様性を認める必要がある。西欧的価値観の側に立って、そうでない価値観の国を否定するのではなく、対峙しながら認め、認めながら対峙するという、文化的精神的悪戦苦闘を続けていく必要があるということだろう。