実は仕事も忙しかった平安貴族 年3日しか休めない下級官人も
NHK大河ドラマ『光る君へ』の人気が沸騰。『源氏物語』の世界や、紫式部、藤原道長など平安貴族が注目されています。『平安貴族の仕事と昇進 どこまで出世できるのか』(吉川弘文館) 著者で佛教大学歴史学部非常勤講師/京都市歴史資料館館員の井上幸治氏が平安貴族とはどんな人々で、どのように暮らしていたのかを解説する本連載。2回目は平安貴族たちの日々の仕事について聞きました。 【関連画像】『小野宮年中行事』を基に作成 ●源氏物語に『政治』が書かれていない理由 物語やドラマを見ていると、平安貴族たちは本当に仕事をしていたのかなと思ってしまいます。 平安貴族たちのうち、公卿(くぎょう)や諸大夫(しょだゆう)は現在でいえば、国会議員や中央省庁の幹部職員といったところが近いでしょう。大臣や大納言、中納言、参議など現任の官職を持つ公卿は藤原道長の時代で約20人。人数的にも閣僚クラスというイメージです。 確かに『源氏物語』をはじめとする王朝文学や、『光る君へ』などのドラマ、平安貴族たちが登場する漫画では、彼らの仕事ぶりはあまり出てきません。公卿たちは立派な寝殿で宴会を催し、和歌を詠み、雅楽を奏で、美しい舞を楽しみ、女性たちと愛を語らう…。日々遊び暮らしていたように思われがちですが、決してそんなわけではありません。 道長の『御堂関白記』、『光る君へ』でロバート秋山さんが演じる藤原実資の『小右記』など、平安時代中・後期の貴族たちは詳細な日記を残しています。それらを読むと、遊び暮らす日々とは程遠い仕事ぶりが見えてきます。『源氏物語』は当時の状況を参考にしており、背景の描写はとてもよくできていますが、政務は作品に関係がなかったためか、あるいは紫式部自身の関心がなかったためか、ほとんど記述がありません。 最も大切な仕事は年中行事でした。現在では「年中行事のように」という言い回しがあるように、やってもあまり意味がないことを形式的に繰り返すマンネリなイベントのように言われがちですが、当時は違いました。決まった行事を滞りなく行っていくことが政治そのものでした。年中行事には、春と秋の大人事異動である「除目」(じもく)や季節ごとの祭礼や仏事も含まれています。 当時の年中行事を実資が記した『小野宮年中行事』から挙げてみると、主なものだけで約100。最も忙しい1月は除目を含めて20以上の行事があります。ほぼ毎日が行事です。全員がすべてに参加するわけではないですが、ここには記されていない行事もあります。行事はただ決められた場所に行き、顔を出すというものではなく、覚えなければならない作法や手順も多く、事前の準備が必要です。天皇が寺社に参詣する行幸(ぎょうこう)などの大きな行事になると、準備に数カ月かかることもあります。