「(SMAPは)なんちゃってオールマイティーですよ」木村拓哉が語った言葉に表れる、「ジャニーズ事務所」が他の事務所と違うワケ
所属し続ける者に対する、事務所の対応も多様なものになってきていた。その変化は嵐の活動休止に象徴的だ。嵐は大野智の「休みたい」という意思を受けて活動休止に舵を切ったが、このような形式はかつてだったら考えられなかっただろう。 他にも元Hey! Say! JUMPの岡本圭人にグループ在籍中に留学を認めたケースや、病気・体調不良などにも相応の療養期間を設けるようになるなど、旧来の芸能界のルールに囚われない“ジャニーズ事務所の働き方改革”が進行していたといっていいだろう。
このような変化の影響か、以前に比べると、グループ活動の解散・休止を経た上で、事務所に残り続けるというケースも多い。時を遡れば、シブがき隊は活動終了と同時、もしくは1年以内に全員が退所、光GENJIも脱退・解散時に7名中3名が辞めていた。 アイドルとしてのグループ活動を終えても、所属を続ける――。これはジャニーズ事務所が10代から20代前半までのアイドルとして活動するときだけ所属する事務所ではなく、多様なアーティストが長く所属できる事務所に変化していた証拠といってもいいだろう。
STARTO社始動の時点では28組295名のタレントが移籍したことが発表されている。 ■男性アイドル市場を作ったのがジャニーズ さて、ボーイズダンスボーカルグループ戦国時代とも言われるほど多くの事務所からグループが乱立している近年だが、それでもジャニーズ事務所はその筆頭であるといっても異論はないだろう。 そんな状況を踏まえてなのか、1回目の記者会見で「なぜこのような状況下において市場を寡占できているのか?」という趣旨の質問があった。そのときの藤島ジュリー景子のキョトンとした顔が印象的だった。当たり前のことすぎて、考えるまでもなかったという様子で、その表情自体が答えのようにも感じた。
そこに東山紀之が「やはりタレントの努力なんじゃないですかね」と答え、ジュリーが「過去はひょっとしたら、男性のアイドルという存在がすごく少なかったときから私どもがやらせていただいていたということも大きいのかもしれません」と加えた。ジュリーの発言には謙遜も見られるが、そもそもその寡占していると指摘された市場自体を作ったのがジャニーズなのである。 初代ジャニーズがデビューした60年代当時、少年が歌い踊るという文化はなく、当初は「ガキタレ」「ジャリタレ」などと呼ばれ馬鹿にされていたという。当時をジャニー喜多川は「芸能人は25歳以上っていうのが至極当然の時代だった※6」と振り返っている。