何が優勝したヤクルトとあと一歩で泣いた阪神の明暗を分けたのか…高津監督と矢野監督のマネジメント力の差
開幕から石山にストッパーを託したが、結果が出なかったため5月中旬には中継ぎに配置転換した。今野、清水、マクガフの勝利方程式を構築したのも大きい。登板間隔に配慮しながら起用した奥川は9勝をマーク。そのマネジメント力が際立った。 独立リーグの新潟アルビレックスBCでプレーイングマネージャーを務めていた高津監督は、2014年に1軍投手コーチでヤクルトに復帰した。2017年からは2軍監督を3年務め2020年から小川現GMの後を受けて監督に就任した。当時、編成部長だった松井氏によると、高津監督の構想を描き、レールを敷いたのは、衣笠球団社長だという。 「高津監督をヤクルトにコーチで戻したときに衣笠社長が、『彼はメジャーだけでなく、韓国、台湾、独立リーグでまでプレーした。誰もできないような経験をしている。その経験、財産を指導者として生かせないか』と主張された」 ただ監督としてふさわしいかどうかについては、未知の部分があり、「まず2軍監督で様子をみよう」ということになったという。2017年から3年間務めた2軍監督は、監督修行であり、監督としての能力を推しはかるテスト期間でもあったのだ。 イースタンリーグの3年間で優勝はできなかったが、「2軍監督をやらせてみたら昭和の時代の指導者のようなガツガツ感のない 選手の主体性を尊重して伸ばす”今風の指導”がチームにうまくはまって育成で成果を出した」と評価された。村上、塩見は、高津監督が2軍監督時代にファームで育成した選手。 不動の4番の村上が結果を残し、青木、山田のベテラン、中堅の2人のチームリーダーがベンチを鼓舞し続けたのもヤクルトにあって阪神になかった部分。阪神は最後まで4番が固定できなかった。 リーグ優勝を果たして次なる目標はクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズに進出して日本一を手にすること。6年前にはCSは勢いのまま勝ったが、日本シリーズではソフトバンクに1勝4敗と完敗を喫している。 「今は勝ったばっかりで、その先までを考えられないんですけど、このチャンスは絶対逃すものではないと思ってますし、我々の野球を、スワローズの野球をこれからも引き続きやっていきたいなと思います」 高津監督はファンにそう約束した。