何が優勝したヤクルトとあと一歩で泣いた阪神の明暗を分けたのか…高津監督と矢野監督のマネジメント力の差
「まず最初に我々が勝つことが一番だと思っていました。タイガースの勝敗は気になっていたんですが、その前に今年を象徴するようないい打線のつなぎと、いいピッチャーのつなぎの形で(勝利を)取れたのが良かったと思います」 甲子園での阪神の戦いは対照的だった。 2回一死一、二塁から「5-4-3」の併殺で終わるはずの送球を糸原がファーストへワンバウンドの悪送球。手痛いエラーで先取点を献上する。シーズン86個目のエラー。春季キャンプで元巨人の川相氏を臨時コーチに招聘しミス撲滅を掲げたシーズンだったが、最後の最後に永遠の課題が浮き彫りになった。 2回には二死一、三塁で早くも先発の青柳をあきらめて代打の小野寺を送った。だが、この代打は、次の用意がない行き当たりバッタリの采配だった。ガンケルでも秋山でも第2先発としてベンチ入りさせ青柳の後を任すのではあればまだしも先発要員は誰一人ベンチ入りさせておらず、及川を3回からマウンドに上げた。いつもの用兵の繰り上がり起用である。 3イニング目に突入した及川は5回、先頭の岡林をスライダーで三振に切って取ったが、坂本がそれを一塁ベンチ前まで弾き振り逃げとなった。ここから四球、ヒットで塁が埋まり、3番手の馬場が大島にタイムリーを許して2失点。さらに8回にも二死一、二塁から渡辺の一塁ゴロをさばくマルテと岩崎の連携がもたつく間に二塁走者、加藤のホームインを許して4失点目。すべてが空回りしての不完全燃焼での“完封負け“だった。 思い出したのは1994年の中日対巨人の10.8決戦だ。勝ったチームが優勝となる「国民的決戦」に 長嶋監督は、槙原、斎藤、桑田の先発3本柱を投入。対する中日は、シーズン通りの用兵で、今中と共にローテーを支えた山本昌は使わなかった。 後日、故・高木守道監督は、「あれが長嶋さんと私の差」と自虐的に語ったが、神がかり的な力を呼び寄せるのは、常識を覆す采配や試合勘、そして先の先を読んだマネジメント力である。 高津監督には、それがある。故・野村克也氏の“元側近“で、2014、2015年とヤクルトの編成部長を2年務め、2016年にはファームディレクターだった松井優典氏は、高津監督の適材適所に配置転換したマネジメント能力を評価する。 「高津監督は人の使い方が上手かった。マネジメント能力やね。適材適所、配置転換のタイミングも人選も素晴らしかった。ストッパーの石山を早めに見切り、中継ぎに配置転換して今野、清水、マクガフの勝利方程式を作り安定させた。先発を埋めるつもりでトレードした田口も先発に固執せずに左の中継ぎで生き返らせた。2年目の奥川を間隔を空けて起用し力を発揮させたのも見事だった。打線でも中村を2番で使ってみたり、うまく休ませてコンディションを維持させながら、攻守にわたって中軸の働きをさせたのも適材適所の例だろう。塩見、青木、山田、村上に、外国人2人が加わったことでレベルアップした打線で勝ってきたという印象が強いかもしれないが、打線には水物と呼ばれる波がある。今年のヤクルトには、そこに高津監督と伊藤投手コーチがやりくりしながら底上げをさせた投手力という裏付けがあった」