「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(5)~ストーリーにこだわる文化と年月日にこだわる文化~ 東アジア文化編
東アジアにおける時間の共時化は司馬遷の年表に始まる
記事の根幹が年月日であるという精神は、司馬遷(前145頃~前86頃)に受け継がれ、彼は、『史記』(前91頃)の中で10章を費やして、東アジアの各地で興亡を繰り返した諸候の即位紀年を「三代世表」や「十二諸侯年表」といった一覧表にして、一年一年を共時化させ、年表を作成している。 そして、この年月日を重要視する文化は、司馬光(1019~1086)の「歴年図」(現在は『稽古録』に所収)と、それに続く『資治通鑑』によって、東アジア歴史認識の基軸を形成することとなった。(稲葉一郎『中国史学史の研究』、486~494ページ、京都大学出版会、2006年) ヨーロッパ人歴史家は、年代記を歴史叙述とは考えず、歴史叙述の前段階の形態であると考える。だから、近代のヨーロッパ歴史学は、中世以降盛んに作成された年代記を歴史叙述の史料と位置づける。そして、これらの年代記をストーリーとしての歴史叙述に変えてゆくことが、歴史家の仕事だと考えている。ヨーロッパ人にとっては、ストーリー、つまり筋書きがなければ歴史ではないからである。 現在われわれが使用している歴史という言葉は、英語のヒストリー(history)を漢語に直したものであるが、まさにそのルーツは、ストーリーにあるといえる。
名乗りとしての年月日
古代中国人によって発明され、東アジア諸国に広まった歴史書のフォーマットは、年月日をきちんと記すことをその根幹の一つとしていた。私は、この年月日を記すことが可能であったという事実自体が、東アジアが高度な文明を持っていたことの証拠だと考えている。 それは、これが「名乗りとしての年月日」であるからだ。つまり、その歴史上の当人が自分はいま何年何月何日にいるかを自分で知っているという事実を示しているのである。 そして、このような時代が来てほしいという願いを込めて国の内外に宣言する新しい元号は、この名乗りとしての年月日といえる。この機能を有するのは、多くの紀年法の中でも、元号(年号)紀年法だけである。 著者紹介:佐藤正幸(さとう・まさゆき)1946年甲府市生。1970年慶應義塾大学経済学部卒。同大学大学院及びケンブリッジ大学大学院で哲学と歴史を専攻。山梨大学教育学部教授などを経て、現在、山梨大学名誉教授。2005~2010年には、President of the International Commission for the History and Theory of Historiography(国際歴史学史及歴史理論学会(ICHTH)会長)を務めた。主著に『歴史認識の時空』(知泉書館、2004)、『世界史における時間』(世界史リブレット、山川出版社、2009)、共編著:The Oxford History of Historical Writing :Volume 3:1400-1800 , (Oxford University Press, 2012)など。