「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(5)~ストーリーにこだわる文化と年月日にこだわる文化~ 東アジア文化編
東アジア文化は年月日を重視する
東アジアの歴史叙述の出発点は、司馬遷(前145頃~前86頃)の『史記』であると一般に考えられているが、実は、それよりおよそ400年前に編纂された孔子(前551~前479)の『春秋』が本当の出発点である。これは、司馬遷が、自分の著述の先駆者は孔子である、と自ら述べていることからも明らかである(『史記』第70、太史公自序)。 この孔子の編纂と伝えられる『春秋』は年月日を正確克明に記し、その上で生起した出来事を記録する記述法である。歴史事実を正確に注釈したと言われる『春秋左氏伝』を編纂した杜預(どよ、222~284)は、序文の中で年月日の重要性について以下のように指摘している。 「本文:春秋者、魯史記之名也、記事者、以事繋日、以日繋月、以月繋時、以時繋年、所以紀遠近、別同異也、故史之所記、必表年以首事、年有四時、故錯挙以為所記之名也。」 「書き下し文:春秋は、魯の史記の名なり。事を記す者は、事を以て日に繋け、日を以て月に繋け、月を以て時に繋け、時を以て年に繋く。遠近を紀し、同異を別つ所以なり。故に史の記す所は、必ず年を表して以て事を首む。年に四時有り。故に錯挙して以て記す所の名と為せるなり。」 「現代語訳:春秋という書は、元来、魯(国)の史記の名である。事を記録する者は、そのことが何日に行われたかと日の下につないで記録し、その日を、その所属する月の下につなぎ、またその月を、その所属する春夏秋冬の時の下につなぎ、その時を、国君在位の年の下につないで記録する。それは年月の遠近を明らかに書きしるし、事の同異を区別するためのものである。だから史官の記録は、必ず国君在位の年を先ず明らかにかかげて事を書き記すはじめとする。1年のうちには春夏秋冬の四時があるので、春夏秋冬の中から春秋の二時をまじえあげて記録する史記の名称としたのである。」(鎌田正著『春秋左氏伝 1』(新釈漢文大系30)、25~26ページ、明治書院、1971年) このように、事を記す際の年月日の重要性についての精神が、前回の『ローマの休日』の字幕スーパーで示したように、2000年後の現在も「ストーリー」の訳語を「記事」とするという形で、継承されているのである。