よみがえった『日本最大の木彫り地蔵菩薩』 32年間ばらばらの状態で倉庫に眠る...大仏師が挑んだ復活プロジェクト「仏師冥利につきる幸せ」
32年前にこの地蔵菩薩を手がけた父も現場に
そして午後、ある男性が工房を訪れました。穏やかな現場に、にわかに緊張が走ります。明観さんの師匠であり父である松本明慶さん(78)です。 (明慶さん)「(目に)ブルーはやっぱり入れてあげたら若く見えるよな。入れてみる?ここでもう」 短くも的確な指示。青色を入れたことで表情に力強さが生まれました。
(明慶さん)「眉毛が弱いな、ちょっとな」 (明彩さん)「眉毛もうちょっと太いほうがいいですか?」 (明慶さん)「上でやらんと下で伸ばしてもらわなあかんわな」 明慶さんは人呼んで「平成の大仏師」。仏像彫刻師の世界で“100年に1人の天才”と言われています。
(松本明観さん)「今できるベストは尽くしたいですよね」 明観さんがこう意気込むのには理由がありました。実はこの地蔵菩薩、32年前に手がけたのが父・明慶さんでした。 彩色が終わり、明慶さんから受け継いだ地蔵菩薩に命が吹き込まれました。 (明慶さん)「ええ感じええ感じ。やさしなったね」
部位ごとに慎重に積み込み…いざ寺に引っ越し
明慶工房は大仏の引っ越しも自分たちで行うといいます。12月6日、15人以上の弟子たちがゆっくりと慎重に大仏の体を持ち上げて、トラックにのせていきます。 (明観さん)「2、3cm浮かしで、5cm~10cmずつスライドさせて、前に」 (弟子たち)「(運びながら)あぶないあぶない!」 (明観さん)「なあ、なあ、言うたとおりにせえや」 大仏に傷が付かないように毛布を使って十分保護します。
続いて、顔も運んでいきます。顔は、胴体や膝と比べて軽い一方で持ちにくく、気が抜けません。トラックに積み込んだらいざ、藤次寺へ出発です。 (松本明観さん)「今回まだ大阪で場所が近いんでね、楽です」 京都から日本全国どこへでも、自分たちで仏像を運ぶといいます。
順番に組み立て…ついに地蔵菩薩の姿が
車を走らせること約1時間。のべ4台のトラックを使った引っ越しが完了。しかし、すぐに搬入というわけにはいきません。まずはお堂に大仏を吊り上げるための電動ウィンチを設置します。 そして、いざ搬入。境内には木が植えてあり、その間を縫ってお堂まで運びます。 (明観さん)「背中側大丈夫?」 (弟子)「こっち寄りすぎです。木当たります」 (明観さん)「こっちって言われてもわからへんやんけ!」 (弟子)「前!前が危ない」 胴体と両肩が運び込まれ、だんだん形が見えてきました。最後は顔です。「たとえ回り道になっても顔は山門からお入りいただきたい」という思いがあります。電動ウィンチで引っ張りあげられた顔を弟子たちが体におさめていきます。ばらばらだった体が組み立てられ、地蔵菩薩がその姿をあらわしました。