大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎に魅せられた表現者たち(前編)
ギリヤークを描いてはいないが、彼の踊りを「鬼の踊り」と称したのは宮本三郎と同時代の洋画家で、独立美術協会の創立メンバーだった林武(1896-1975)だ。息子の林滋さん(76)はギリヤークと親交があり、彼の人間的な面白さにも魅かれた。踊りを父に見てもらいたいと、渋谷区の自宅に招いた。 現在、彩林堂画廊(東京都)の社長である滋さんは当時をこう思い出す。「親父は自他ともに認める芸術家、ギリヤークさんは芸術性という意味では同時代の土方巽らに比べれば希薄かもしれない。でもああいう踊りができるのは彼しかいない。親父がどういう評価をするか知りたかった」。林武の鋭い眼差しの前に、対決する覚悟で自分を賭けて踊ったというギリヤーク。踊りを見た林武は「君のは、鬼の踊りだね」と語り、初期のギリヤークはこの言葉を心に抱えて踊ることになる。 滋さんは「『鬼の踊り』は完全なる芸術性の評価というよりは、ユーモアも交えていたかもしれません。ふんどしも外した時は、親父はともかくお袋が大変だったな」と振り返った。それから「100歳まで生きようと思ったら、生きられる人。生きていくには踊りしかない。死ぬまで踊ると思う」とエールを送った。
ギリヤーク尼ヶ崎の歌
歌手で詩人の友部正人さんが1992年にリリースしたアルバム「ライオンのいる場所」に収められた「大道芸人」は、ギリヤークをモデルにした曲だ。「決して舞台になどあがら」ず、「衣装はいつだっておんなじ」で「赤い着物で踊り狂」う。名こそ書かれてはいないが、まさに大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎そのものが描かれている。 友部さんは1989年に函館のイベントにギリヤークとともに出演して出会い、1991年に福岡で偶然再会した後、この曲を作った。
「今、本当の大道芸人っていないですよね」と言う友部さん。50周年を迎えるギリヤークに伝えたいことは「応援しています」。 ほかにもギリヤークを応援する人たちは、枚挙にいとまがない。すべてはつづりきれないが、後編としてもう1人だけ、各地の公演でギリヤークが掲げるのぼりを贈ってくれた俳優の近藤正臣さんについて書きたい。 (紀あさ) ※後編は後日掲載予定