大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎に魅せられた表現者たち(前編)
5月19日、横浜・六角橋商店街(神奈川区)。商店街の活性化を目的とした夜のイベント「ドッキリヤミ市場」で、大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎(87)の50周年記念公演が開催された。大通りと仲見世通りの間の四畳ほどの小さな空間の回りに、遠くは九州、北海道から、300人を超す観客が詰めかけた。胸にはペースメーカーを埋め込み、パーキンソン病や脊柱管狭窄症などで自由がきかなくなった身体で、黒子姿の女性に車椅子を押されて登場したギリヤークは、途中から立ち上がり創作舞踊を4演目踊りきった。 その黒子である筆者は、横浜公演前には「現役最高齢”伝説の大道芸人”ギリヤーク尼ヶ崎、街頭での50年を振り返る」として50年間の歩みをまとめた。今回は、ギリヤークに魅せられた表現者たちの声を紹介したい。
六角橋にギリヤークを呼んだ三味線弾き
ギリヤークが公演を行う各地の会場の中でも、六角橋商店街は飛び抜けて狭い。なぜこんな小さな舞台で踊るようになったのか。それは神奈川区在住の芸人と元パフォーマーとの熱意だった。 2004年、ここにギリヤークを呼んだのは、鈴木正幸さん(59)。「シャーミー鈴木」の名で三味線を演奏する芸人だ。 鈴木さんがギリヤークを初めて見たのは19歳の頃。「水をかけるところにすごく感動して。何に俺は感動しているのだろう…」。その後も何度か公演を見たが、ある日、横浜を歩いているギリヤークを偶然発見。思わず「友人の開催するヤミ市で踊ってほしい」と話しかけた。
商店街の会長を務める陽月堂薬局の石原孝一さんと鈴木さんは、同い年で旧知の仲だ。実はこの石原さんも「劇団黒テント」の養成所を出ており、若い頃はパフォーマーとして活動していた。
ギリヤークに出演を依頼したときは「商店街にはジャグリングやマイムのような楽しい芸の方が合う」と断られた。しかし鈴木さんには確信があった。「石原くんの商店街はほかとは違う。六角橋になら絶対に受け入れられる」 知る人ぞ知る大道芸人だったギリヤーク。石原さんも芸を何度も見ており、「彼に来てもらえたら、この街にとって誇りに思う」と意見は一致。鈴木さんと石原さんは、ギリヤークと食事を共にし、強く思いを伝え、出演を承諾された。 鈴木さんは、商店街の最寄り駅前でビラを配ったり、横浜駅の掲示板にポスターを貼るなど、事前告知に力を入れた。