大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎に魅せられた表現者たち(前編)
ギリヤークを初めて見たのは80年代半ば。それまでに知っていた大道芸とは異なるもので、どう位置付けたらよいかが判らず、最初はそれほど興味を持たなかった。90年代になり、自身も街頭に立つようになると、改めてその凄さを認識した。 「自分を貫いてやりたいことをやりたいようにやっているが、自己満足ではなく、お客さんの気持ちを引っぱっていく。本当に投げ銭で食べている、そういうところも含めて、尊敬している」と言う。 以来、教え子たちにも「日本の大道芸の草分け」としてギリヤークの公演を薦め、毎年関西公演に足を運んできた。今年5月の京都公演は、パーキンソン病の悪化以来3年ぶりの関西公演だったが、鵜飼さんがどう見たかを尋ねた。
「車椅子上で動かなかった体が、カセットテープの音が鳴ったら動きだす。奇跡のようなことが目の前で起きる。かつての動きはできないが、今の身体的な能力を限界まで出している。お客さんもそれが分かり、観客との間の絆がこれまでにないほどできている。ギリヤークさんも観客から力をもらっただろうけれど、それ以上の物を返していた。ある意味で体調を壊す前よりも、芸が深く伝わっている」と評した。
他分野の表現者たち
ここまでは芸に関わる人を紹介したが、他の分野の表現者たちと親交が深いのは、ギリヤークの特徴だ。 宮本三郎(1905-1974)は、昭和の洋画壇を代表する画家で、アトリエのあった世田谷区と故郷の石川県には現在もその名を冠する美術館がある。宮本による「二人」は、ギリヤークにとって思い出に残る絵画作品だ。ギリヤークをモデルに描かれた男性が女性の横で、アダムとイブのように並ぶ。 宮本が創立メンバーだった二紀会でギリヤークが踊ったところ、絵のモデルになってほしいと葉書が届いたという。ギリヤークは画家の魂を感じ、舞踊を創作する時と同じ気持ちで、自分の意識が消えるまで精神を統一しモデルを務めた。作品は現在、東京国立近代美術館が所蔵している。