【単独】「ディズニー越え」に本気のGENDA会長、ハズレすぎた「配属ガチャ」とは
「配属ガチャ」での「苦過ぎる」思い出
──では、もうほかの会社は何社も受けたりはしなかったのですね。 片岡氏:ほかの面接を全部断って、そのままジャスコに入社しました。ところが、よくある話ですが、翌年4月にいざ新入社員になってみると驚くべきことに配属辞令には「鳥取店 家電売り場」となっているのです。 もちろん家電現場でも仕事は一所懸命していました。毎朝日経MJを見て業界情報を勉強していましたが、ある日、家電面を読んで、総合流通面を読んで、そして一番読みたいエンタメ面に目を通したら…「ナムコが北米進出!」と書いてあるのが目に飛び込んできました。自分はエンタメ世界一を目指してジャスコに入ったのに今は地方で家電売り場の一スタッフで、まだスタート地点に立ててすらいない。そのことがあまりに悔しくて、その場で新聞をビリビリに破いて、そのまま腕立て伏せをして気を紛らわせていたくらいです。 ──逆に20歳そこそこで、そこまで野心を持って「世界でエンタメ」を考えていた片岡さんが凄いです。 片岡氏:ゲームセンター事業に配属されるためにできることは何でもしました。家族にアミューズメント部門でバイトとして働いてもらって、そこから「来週、アミューズメントの担当役員が姫路に巡回で訪問しに来る」という情報を教えてもらい、有休をとってアポなしで現場に履歴書を持参して「5分だけ時間をください!どうしてもアミューズメントの仕事がやりたいです!!」と訴えました。 それで、3年目の1997年4月に異動の希望が叶いました。ちょうどジャスコがアミューズメント部門を「イオンファンタジー」として分社化したタイミングだったのですが、その新設会社の1日目に間に合ったのです。 ──すでにそこでただ者ではない動きが出てますね。配属ガチャにも負けず、やれることはなんでもしたのですね。イオンのゲームセンター事業はその後、なぜ伸びたのでしょうか? 片岡氏:当時、駅前立地や郊外ロードサイド立地のゲームセンターは苦戦しており、モール立地のゲームセンターが成長している時期でした。当初は市場もユーザーも違うものだと思われていましたね。イオングループだけでなく競合も伸びていました。ただマイカル(2006年買収)に、ダイエー(2013年買収)にとイオン自体がモール事業ごと買収するうちに、イオンのゲームセンター部門だけが大きく残ったという状況ですね。 ──個人的にとても興味があるのはゲームセンターの海外展開です。1988年から10年かけて日本で100店舗にしていましたが、むしろ2007年に始めた海外展開がたった5年の2013年に100店舗にまでもっていったスピードです(注1) 。 片岡氏:もともと海外展開したかったというのはありますし、本当にタイミングが良かったのだと思います。2000年代前後の早すぎたときだとまだ市場ができてなかったですし、2010年代でタイミングが遅くなっていたらローカルの強い企業がどんどん寡占してしまっていました。だからあの2007年ごろというタイミングがちょうど良かったのだと思います。 後「子供がターゲット」というのも良かったのでしょうね。世界各地で大人向けには色々なゲームが出てきて嗜好性もばらばらになっていきますが、子供が好きなゲームって共通しているのですよね。なので、あまりひねらずに日本でも流行っているものを海外でも展開し人気を博していったのです。 注1:イオンファンタジー 18期期末 株主通信より