「工場閉鎖、業績悪化、がん発症…」老舗帽子メーカー4代目社長が大手企業を退社し右肩下がりの業界に入った訳
── 生産基盤の確保をしながら、どのように事業を展開していったのでしょうか。 佐藤さん:右肩下がりのこの業界に新規参入する会社は、ほぼ皆無だと思います。それを逆手にとるしかないと考えました。 私は、帽子や縫製について知識がゼロの状態で入社しました。でも、弊社には創業時代から培ってきた技術があります。100年の間に先代たちがつくってきてくれた取引先との信頼もあります。 私は、自分が企業勤めのときに培った営業力を活かして、新しい商品の提案をし続けました。絵心がないので、UFOみたいなデザイン画を抱えてですが(笑)。提案する商品さえよければ、お仕事につながりました。ライバルが少ないのは、すごく大きかったと思います。
■がんになって「周囲に生かされている」ことを実感 ── 2014年に代表に就任されました。若くして社長になられて、従業員との関係にご苦労はありませんでしたか。 佐藤さん:人の上に立つことは、初めての経験です。上に立つための人間性の形成もできていませんでした。帽子はもちろん、経営についても無知な状況で、周囲を思いやる余裕がまったくありませんでした。自分に余裕がないから、上から強く指示するという状態になっていました。
── 従業員の方との向き合い方が変わった大きなきっかけはあったのでしょうか。 佐藤さん:向き合い方の基本を大きく変えたのは、間違いなく、がんを経験したことです。長引く口内炎を切除したら、舌がんが見つかりました。2022年2月のことです。がんを宣告された直後、待合室では涙をこらえていましたが、会社に戻って社員みんなの顔を見たとき、私は泣き崩れてしまいました。 それまでは、ラグビー部や大手企業を経た自信から、自分のことを「何事も前向きに切り替えて生きていける強い人間」だと思っていました。「強い自分」や「皆を引っ張っている」という表面的な部分しか見えていなかった。でも病気になって、精神的に落ち込み、身体的にもできないことが一時期増えたことで、「弱い自分」や「周囲に助けられている自分」と向き合わざるを得なくなりました。そこで、自分が先頭に立っているのではない、皆が先頭に引っ張ってくれていたのだということが、やっとわかったんです。