初めて明かすW杯予選敗退の真実。フットサル元日本代表監督・木暮賢一郎、栄光と挫折の969日【独占インタビュー】
木暮賢一郎が日本代表監督として過ごした969日は、栄光と挫折の道のりだった。 2021年11月22日、日本代表に4代ぶりの日本人監督が誕生した。 【映像】W杯行きを逃したタジキスタン戦(ハイライト) 2004年の世界選手権(現ワールドカップ)初出場から2008年の二度目のW杯まではブラジル人のセルジオ・サッポ監督、その後、2016年まではスペイン人のミゲル・ロドリゴ監督、続いて2021年の四度目のW杯まではブルーノ・ガルシア前監督が指揮を執った。いずれの時代も第一線で過ごしてきたのが木暮氏だ。 サッポ監督時代にエースとなり、ミゲル監督時代にキャプテンとなり、その後、現役を退いてからは指導者となり、ブルーノ監督時代にコーチとして、日本フットサルにおける最高峰のカテゴリーに身を投じてきた。 言わば木暮氏は、フットサル・エリートだ。 2000年から2012年までは選手として、W杯に三度出場。指導者としては、2013-2014シーズンのFリーグU23選抜監督を皮切りに、2014-2015シーズンからシュライカー大阪の監督に就任。3カ年計画で強化を続けた3年目、2016-2017シーズンには、Fリーグ初制覇を成し遂げた。過去17回のリーグで、名古屋以外のチームが頂点に立ったのはこの時が唯一のことである。翌年まで大阪で指揮を執り、2018年から日本代表スタッフに入閣するのである。 そのキャリアに“挫折”はなく、全てが順風満帆に進んでいるように見えた。 2022年10月9日、日本はAFCフットサルアジアカップクウェート2022で優勝。就任後初のアジアカップで、なおかつ決勝で宿敵イランを倒しての戴冠という最高の結末は、木暮監督が思い描いたとおりのシナリオであると感じさせた。 だが、悲劇は起きてしまった。 2024年4月22日、日本はAFCフットサルアジアカップタイ2024で史上初のグループステージ敗退。アジアに5枠が与えられたW杯出場権を手にするどころか、手をかけることもできないまま、大会を去ることになった。 木暮氏が就任した当初の目標は、アジアカップのタイトルはもちろんのこと、2024年のW杯出場と、同大会のベスト8以上の成績だった。決して無謀なチャレンジではなく、日本はそこに到達しうる成長曲線を描きながら着実にミッションを遂行していた。 一体、何が起きていたのか。 2024年7月18日、アジアカップ敗退後、約3カ月の“空白期間”を経て、木暮氏の監督退任が発表された。その後、木暮氏は自身の活動をSNSで報告することはあっても、新しい所属先はなく、メディアで発信する機会もなかった。 日本代表監督として過ごした969日と、その後の5カ月。何を感じ、何を考え、何と向き合い、どう過ごしたのか。そしてこの先どこへ向かうのか。アジアカップを現地取材したSAL編集長・北健一郎が直撃。木暮氏が今、真実を語る。 インタビュー=北健一郎 編集=本田好伸、伊藤千梅
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