初めて明かすW杯予選敗退の真実。フットサル元日本代表監督・木暮賢一郎、栄光と挫折の969日【独占インタビュー】
2年間の準備が覆されるアクシデント
──2021年のW杯終了後、ブルーノ・ガルシア監督からバトンを引き継いで代表監督に就任しました。当時、木暮さんが描いていたものとはなんでしょうか。 思い描いていたものは三つありました。 一つは、代表チームの取り組み方や構造を変化させていくことです。強化方針では、代表招集期間をFIFAデイズに沿って行うことや、育成世代との連携を強固にすること。また、カテゴリーやライセンスの有無に関わらず、日本人指導者の養成に力を入れていくことを考えていました。二つ目は、世代交代を図ること。 そして三つ目は、代表チームの宿命である、アジアでのタイトル獲得やW杯出場といった成果を出すこと。その三つを自分の軸に置いてスタートしました。 ──その成果を出すために、2年間でどんな準備を行いましたか? 2022年のアジアカップで優勝した直後、世界で戦うことを考えてプレーモデルの変更を決断しました。具体的には、イランなどの強豪国に対してもゲームを支配して勝つために、ポゼッション率を高める必要があると考えました。 プレーモデルを変更するなかで、ヨーロッパなどの強豪国とのマッチメイクも行いました。課題や通用することを、選手一人ひとりが肌で感じながら、その感覚を忘れずにそれぞれのクラブでトレーニングを重ねるサイクルを生み出せていたと思います。 2024年2月のポルトガル遠征まではいい状態をつくれていました。選手個人のシュート数やリーグ戦のプレータイム、走行距離や短期間でのフィットネスレベルの落ち具合、体脂肪率といった細かいスタッツやデータを見ても、いい数値が出ていたと思います。 そこまでの強化は、完璧とは言わないまでも、予定通りの準備はできていました。 ──その後、怪我人が続出した以外にも想定外のことが起きた。 ここですべてを語ることはできないですが、ポルトガル遠征が終わってから、本当にこれでもか、これでもかというくらい、解決しないといけない難題が多かったのは事実です。 例えば、我々は予算の元に動いていますから、スケジューリングはかなり早めに組まないといけません。Fリーグの日程もそうですし、あらゆるスケジュールと予算立てをクリアしないといけないので、そもそも簡単なものではありません。 Fリーグに所属する選手の公式戦、全日本選手権は3月頭まででした。アジアインドアゲームズの度重なる日程変更などの影響もあり、最終的には選手よっては2カ月近く公式戦がない状況になってしまいました。 ──なるほど。実戦機会やコンディション調整の難しさがあった。 さらには、FIFAデイズの問題もあります。それ自体は、今に始まったことではないので準備をしていました。アジアサッカー連盟(AFC)の日程がFIFAデイズから外れているのですが、これはブルーノ監督の時代の2021年も、自分が監督となってアジアで優勝した2022年もそうですし、今回の2024年のアジアカップもそうです。次の2026年も同様に、FIFAデイズから外れていることが決まっています。つまり、呼びたい選手を呼べない。 2022年大会の時は、毛利元亮と逸見勝利ラファエルを呼びたかったものの、クラブが出してくれなかったので招集できませんでした。その経験から、2023年には欧州行脚に出向きました。 スペインやポルトガルの1部、2部のクラブの監督や会長に連絡を取ってFIFAデイズからは外れているものの、「必要だから選手を出してほしい」と交渉を続けました。 途中まではうまくいっていました。ポルトガル遠征では、逸見と内田は怪我で呼べませんでしたが、原田快を呼ぶことができました。ただしその後、遠征から帰って、アジアカップに向けてオフィシャルのラージリストを出す時に、クラブの事情で出せないと言われました。 登録メンバーのうち、内田、逸見、原田快、25名のラージリストでは、毛利と中島圭太の5人の選手は呼べないことが確定したので、リストを直前で差し替える必要がありました。 ──そんなギリギリの交渉があったんですね。 さらに、それが難しいタイミングが重なりました。Fリーグが1カ月以上オフになる時期に、ベトナムから大会参加のオファーが届きました。それに参加するかどうかという返事のリミットの時点ではまだ、海外組が全員呼べるという状況だったんです。 ──まだ、クラブに断られる前のことだったんですね。 そうです。でも何が起きるかというと、仮に、ベトナムの大会は国内組で行ったとして、本番では海外組を呼ぶために半分ぐらい差し替える可能性がある、ということでした。 海外組はシーズン中なのでコンディションは上がっている状況であり、一方で国内組は、試合をしていない状況ですから、そうなる可能性が高い。 結論としては、入れ替わりが多くなることを考えて、行かないことにしました。 ──どうしてでしょう? 選手のモチベーションに影響が出ると考えました。海外組は、クラブの試合を休んで呼ぶという確約をもって交渉していたので、ベトナムに行った場合、仮に国内組が良かったからといって海外組を呼ばないとなると、選手を出したクラブとの関係も難しくなります。 また海外組はシーズン中ですのでコンディションが良いということはわかっていたので、行かないという決断をしました。 もちろん、ベトナムに行くとなると、2024年の12月までのスケジュールを変更するという難しさもありますので、簡単な問題ではないないということです。12月に予定している活動の予算を、当初予定のなかった活動に使うことになりますから。その時に誰が監督であってもW杯後にも継続的な活動をするべきだというのは私の考えでもありました。
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